2024年8月17日「終末・リバイバル宣教」

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説教題; 「地上の富」
聖書箇所: マタイ6章19~24節

19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
20自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
21あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。
22からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、
23目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。
24だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

(導入)
お金は不思議なものである。30代の頃二人の友人と話していた。二人とも、株をやっており、相当詳しい。若い方の友人が、「総理が、外国を訪問する時、お金を持っていく。そのお金は、その時印刷して持っていく。」こんなことを言った。そんな馬鹿な、と聞いていたが、最近、政府がやっているお金の使い方、多額な借金をしても心配する風にも見えない。一方、災害だ、コロナだと言うと、予算があるだろうが、どこからそんなお金が出てくるかと思う事がしばしだ。これらを見ると、若いころ聞いた、お金を印刷して持っていくという事を思い出す。
一方、アフリカの非常に貧しい地域の子どもたちの姿が映し出される。100円/1日を寄付すると、多くの子どもたちが助かると聞くと、お金は命を支えている、と感じる。
全くお金は不思議だと思う。
本日は、地上の宝、お金について考える。

(背景)
本日から、新たな中区分イエス様の教えの中で、“やってはいけない生き方”について学ぶ。生き方の消極的な面が中区分。
本日の小区分は、“地上に宝を蓄えるな”である。

(本文)
V19;「虫…傷物」⇒当時高価な着物は宝であった。それは保管が悪ければ虫に食われ、使い物にならなくなる。「さび…傷物」⇒さびの元もの意味は、“食べる事”それがこの文脈では、穀物、財産が、ネズミなどによって食い尽くされることを意味する。地上の宝物は、消失する運命が待っている。
V20:「天に宝を蓄えなさい」⇒ここは前節との対比で、宝物が消失しない方法は、地上でなく天で貯えれば、無くなる事はない。強調である。施しの所で説明したが、私の証をさせていただく。Ex.時間外労働の件
V21:「宝のあるところ…心」⇒この心は、束縛されて、そこに心が集中している状態。地上の宝は、心が縛られる。例;ブラジル人の宝くじ。
V22,23:「目」⇒昔からのたとえで、人間が健康的に明るく生きている事が出来るのは、目から入ってくると言い伝えられていた。目が健康的かどうかは大きな問題。目が健康的でないという事は、陰鬱で不健康な状態になるという事である。この文脈で言うなら、不健康な目は、地上の宝にとらわれている姿で、ユダヤ的な具体的な解説になると、“ケチで物惜しみする”姿。一方、健康な目は、“寛大で気前が良い”。当然、生きるには健康な目が必要である。
V24;「神と富に仕えることはできない」⇒ここではっきりと、地上の富は、それに囚われ、神と共に生きることはできないと、明言する。
Ex.ハワード・ヒューズの生涯。

(適用)
お金は不思議である。必要以上の物を持つと、宝となって、神と共に生きるという事を忘れてしまう。私たちは、笑い話として、「それでもいいから、そんな経験を一度させてほしい」と心の中で願うほどに、地上の宝は、魅力的であり魔力を持っている。
お金をいかに生活で使用するかは大きな問題である。
お金は生活に必要なものである。宝として、放棄せよとは神様は言っていない。
神様は、その人の社会的立場、年齢のステージを考えて、食べる事は勿論であるが、生活全般を考えて一番適切な量のお金を私達に委任してきたのではないか。自分のものとすることなく、神の前に正しく生きる。もっと言うなら、神の国建設のため、よく管理して、使用することが求められている。

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