岐阜城天守閣行って来ました

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金華山(きんかざん)山頂に位置し、建仁年間(1201年~1204年)に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三公の居城でもありました。その後、永禄10年(1567年)に織田信長公がこの城を攻略し、城主となりました。信長公は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。
 天正4年(1576年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。
 1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長公の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、その後天守閣・櫓等は加納城に移されたと伝えられています。
 現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。

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