「みんな死んだ…夜は赤い炎」高校生の紙芝居11歳少女の被爆体験【シリーズ被爆79年「NO MORE..」②】

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核兵器の非人道性を訴え平和への思いを発信するシリーズ被爆79年「NO MORE..」。2回目は近距離で被爆した11歳の少女の体験を「紙芝居」にして伝え続けようとしている高校生と被爆者の思いです。【79年前のあの日、私は11歳の小学5年生でした。長崎の町はB29によって落とされた一発の爆弾によって一瞬にして地獄のような町になりました】(紙芝居より)1人の被爆者と高校生がこの夏《一組の紙芝居》を作り上げました。被爆者団体「長崎被災協」が、来年に迫った被爆80年に向けて進めるプロジェクトのひとつ。長崎市にある活水高校の平和学習部と、90歳の被爆者・松尾幸子さんの挑戦です。高校生「こんにちは、よろしくお願いします」
松尾幸子さん(90)「こんにちは。ありがとうございます」松尾幸子さんが体験したことを高校生が聞き取り、「絵」と「ナレーション」で伝える「紙芝居」を作ります。松尾幸子さん:
「…急にピカー!っと光ったの。あらら?今の光は何だったんだろう?と思ったらしばらくしてドーン!と凄い音がした。それからのことはね、しばらく分からないんですよ…」活水高校2年 竹内伶さん(17):
「その《真っ暗》というのは、意識がある状態?目は開けている状態?」松尾さん「気が付いて目を開けたけど、真っ暗で何も見えなかったの」姉、兄、父が死んだ 11歳の被爆体験松尾さんは11歳の時、爆心地から1.3キロ離れた長崎市の岩屋山の中腹で被爆しました。姉と兄は爆死、父も髪が抜け斑点が出て苦しみぬいたすえに亡くなりました。松尾幸子さん:
「一人でも多くの方に私たちみたいな体験をしてもらいたくないということ、そして核を無くしてもらいたいということ、その思いが原点なんです」松尾さんは28年前に「語り部」活動を始め、修学旅行生などに体験を語ってきました。被爆者の平均年齢は85歳を超え、被爆の記憶を自らの言葉で伝えることができる被爆者は櫛の歯が抜けるように年々少なくなっています。高校生「核兵器の廃絶を求める署名活動を行っております」
活水高校平和学習部は、核兵器廃絶を目指して1988年に発足した部活です。署名活動に加え、被爆者と交流して知った体験や思いを、小中学校に伝える講話なども行ってきました。活水高校平和学習部 竹内伶さん(17):
「コツコツした積み重ねで、いつか核兵器のない世界に繋がればいいなという思いでやってます」高校生がたどるー11歳の少女の運命この日、高校生たちは自分達だけで79年前に松尾さんの自宅があった大橋町を訪れました。「あっちじゃない?駐車場の方だよ。(爆心地から)近いね」
爆心地から約700メートル。自宅は全壊。松尾さんは稲佐山の中腹に父親が建てた小屋にいたため助かりましたが、死体が転がる「死の町」を前にした恐怖、色、熱は松尾さんの中から消え去ることはありません。松尾幸子さん:
「もうみんな死んでしもうたとばい、世界の終わっとばい、どうしようかって言って泣いたんですよね。夜は赤い炎でした。それをよく眺めていました。これほどまでと思いませんでしたから。何も残ってなかったんですよ…」活水高校・平和学習部 元川真理子さん(16):
「幸子さんがその日感じられたことが同じ場所で起こったってことが本当に信じられない気持ちでいっぱいです」活水高校・平和学習部 島田朱莉さん(16):
「実際に来てみて想像することで、当時の辛さだったり、死から逃れるために頑張ってきた気持ちだったり、そういうのが少しは理解できたかなって思います」松尾さんと高校生が作る「紙芝居」。
「絵」を担当するのは、被爆3世の島田朱莉さんです。松尾さんが見た長崎の惨状を表現するため、被爆写真なども見ながらおよそ2か月かけて23枚を描き上げました。活水高校・平和学習部 島田朱莉さん:
「やわらかいイラストだけど、その当時の怖さを伝えられるように…。原爆投下後の長崎や、そこで苦しんでいた人たちの様子を自分でもう一度調べ直して、そこから松尾さんの話を関連付けて書きました」でき上がった「紙芝居」を松尾さんへ録音する声「ーでも私たちは学校に行くことができませんでした。あ、違う…」「絵」にどんな言葉をのせるかー、考え抜いて仕上げた「台本」を自分達で読んで録音し、音声付きの「紙芝居」に仕上げます。「英語」にも翻訳し、世界に発信することを目指します。活水高校・平和学習部 竹内伶さん:
「日本語だけだと(日本語を)知らない人たちに届かない。日本人は当たり前のように原爆が《この日に落ちた》こと知っていると思うんですけど、世界に出たら違って…。被爆者が身近にいる私たちができることなので、長崎に住む高校生としてやらないといけないと思っています」松尾幸子さんに襲い掛かった原子爆弾、そして核廃絶の思いを、高校生が代弁できるのかー。出来上がった「紙芝居動画」を松尾さんに披露します。【わたしからあなたへ~私が救急カバンの中身を確認していたときのことでした。急にぴかーっと白くて黄色い光で包まれました。一瞬にして地獄のような街になりました】(紙芝居より)【We must never go to war again.We must repeat that mistake.Continue to protect your daily life.」(紙芝居より)私たちはいなくなるけどー松尾さんの思い被爆者 松尾幸子さん(90):
「こんなものを作ってもらって、本当に幸せです。生きている間に見せてもらった。世界に羽ばたいてください」活水高校・平和学習部 島田朱莉さん:
「語り継いでいくという役割ー、架け橋となれたことが嬉しかった」
活水高校:平和学習部 竹内伶さん:
「《被爆者なき時代》はいつ来るか分からないけど必ず来るので…。今から作っていく、世代の私たちが主体となって思いを受け継ぐことが一番大事だと思っています」松尾幸子さんの被爆体験と平和への思い、そして高校生の決意が込められた「紙芝居動画」は長崎被災協のYouTube配信、そして活水高校平和学習部のSNSで世界へ。被爆者 松尾幸子さん(90):
「戦争の惨めさ、恐ろしさ、それを知ってもらいたいから。誰も話す人がいなくなった時に映像があったらそれが役に立つと思う。私たちはいなくなるけど、これから先はあなたたちのことなんですよ。だからあなたたちが考えてださいと。行動してくださいと」

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