東京ヘリ撮50年 都電 聖夜に鐘の音を 渋谷の青山(2021年12月6日)

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渋谷駅の原宿寄りの線路沿いに去年、2020年7月に開業した宮下パークです。
屋上も含めて4階建ての公園という触れ込みで、屋上は渋谷区立宮下公園。
3階以下には、ブランドショップから飲み屋街までがそろっています。
屋上ではボルダリングもそしてスケートボードもできます。

画面下に以前の宮下公園が見えます。
こちらは1968年、昭和43年の正月むけに撮影した渋谷です。
丸いドームのある建物が東急文化会館、今の渋谷ヒカリエです。
4つの映画館があり、ドームの下はプラネタリウムでした。
駅前広場は都電のターミナルでした。

首都高速3号線の右側、交差点の角に渋谷警察署が見えるはずですが、このときは建て替え中です。

明治通りを並木橋の方向に進みます。

白い大きな建物の下の階に場外馬券売場があります。そのうしろのマンションともども今も健在です。
住宅や低層の建物が並ぶ中に大きなビルがポツポツと立ち始めた時代でした。

カメラは金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)に寄ってゆきます。
中世の豪族、渋谷一族の根城の一つだったと伝わります。

青山学院のテニスコートの下を、六本木通りと首都高速3号線がくぐっているのが見えます。

青山学院のキャンパスです。こちらも今も立つ記念館の傾斜の緩やかな大きな屋根がひときわ目立ちます。
クリスマスも終わり冬休みなのか、人影はまばらです。

青山通り、国道246号を渡って、都電青山車庫です。画面手前に都電が並んでいます。
都電廃止後は都バスの車庫になり、その後国連大学とこどもの城になりました。

青山通りが長く伸びています。
1964年の東京オリンピックに合わせ、道幅が40メートルに広げられました。

ふたたび青山学院が見えてきました。
渋谷区渋谷4丁目にあるのに、青山学院。
青山学院の前身の東京英和学校がこの地に移転したとき、こちらの住所は東京府赤坂区青山南町七丁目でした。
青山学院と改めたのは1894年のことです。
それより前の1889年に当時の渋谷村に組み替えられたあとも、「大字青山南町七丁目」と、「青山」の名が残っていました。
渋谷サイドから「青山」の名が消えるのは昭和の時代です。

宮益坂上の交差点です。

宮益坂を下ります。手前の白っぽい大きなビルは、渋谷郵便局です。

ふたたび渋谷駅東口です。3階部分に地下鉄銀座線の線路、2階部分には渋谷駅と東急文化会館を結ぶ通路が伸びています。
連絡通路からは、都電のターミナルにも降りられるようになっています。
ふたたび宮益坂上の交差点です。
手前のヒョロリとしたビルは仁丹ビルです。暗くなるとビル一面に明かりが灯り、渋谷で一番明るいビルと言われました。

住宅街に入ってきました。このあたりも今ではビル街に変わっています。

画面右側から見えてきたのが、東京都児童会館です。
こどもたちが楽しみながら学べるよう、1963年、昭和38年の暮れに建てられましたが、2012年に閉館しました。

区立の渋谷小学校です。もともと渋谷駅前、まさに東急文化会館のあたりにあったものが、移転してきました。
その後、1997年、平成9年に区内の2つの小学校と統合されて移転しました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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