法話:【信じるということ】

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~ 法話:信じるということ ~

高野山教報の西蔵全悠僧正の「『弓と禅』から読み解く「信じる」ということ」というコラムが非常に興味深く、ご本人の許可を得て、ここに引用させていただきます。

「ドイツの哲学者であるオイゲン・ヘリゲルは、一九二四年に北陸帝国大学の講師として来日し、二九年に帰国するまでの間、教壇に立つ傍ら弓道を修めました。後にその体験を「弓と禅」という一冊の本に纏めます。ヘリゲルが師事したのは、「弓聖」と称される阿波研造でした。

阿波はヘリゲルの願いを一度は断りますが、「「精神的」に射る」ことを学ぶのを条件に入門を許しました。ところがヘリゲルには「精神的」に射るということが一向に理解できません。「意図的に矢を離してはいけない」「的を狙ってはいけない」という阿波に、「矢を放つのは的に中(あ)てるためです。どうして狙わずにいられますか」と反論します。阿波は「何も考えずに正しく「待つ」ことを学びなさい」と返し、理詰めで答えを求めるヘリゲルに取り合いません。(中略)

ヘリゲルの背景にある西洋哲学では理性が尊ばれ、この世の全ては論理的思考によって解明できるという立場が主流でした。こうした風潮は現代社会でも同じです。私たちは言葉による理解で、世界の全てをわかったような気になっています。」

西蔵僧正は、阿波がヘリゲルに伝えたかったことは、この世界の本質は「語り得ぬもの」であるということ。つまり、無為自然の境地を伝えたかったのだと。「無為」とは意志や思考、判断などの「作為」を捨てて自然のままに生きるということであり、自分の意志(作為)によって「私」を高めることが真理に到る道だと思っていたヘリゲルには、理解しがたかったのではないかと書かれていました。

お釈迦様は、悟りの内容を言葉として残していません。それは、「悟り」の内容が、まさに「語り得ぬ」ものだからに他ならないからだと思います。弘法大師様が日本に伝えた曼荼羅も、語り得ぬ密教の教えを絵で表したものです。そして、私が一番印象に残った西蔵僧正の言葉は、「信じるというのは同時に「私」を手放すことです。「私」の願望を投影して、都合のよい期待を寄せることではありません。」という部分です。

「信じる」ということの本質を深く考えさせられます。浄土教についても次のように説明されています。「親鸞上人は「自己のはからいを捨てて阿弥陀仏の働きのままに生きる」ことを説かれました。この「易行(簡単な教え)」は瞬く間に広がります。

ところがやっぱり極楽浄土するにはたくさん念仏して善行を積む必要があるとか、教学を学ぶ必要があるという異論がでます。(中略)ただ阿弥陀仏を信じるという簡単なことがみんなできなかった。他力にすがるには自力を捨てる必要があるのに、真面目な人ほど「私」がもっと何かしないといけないと考えてしまう。」

この文章を読み、信じるということは、過去から続く因縁や、自分では気づくことのできない様々な事柄、未来への不安などを、すべて仏様に預けて、今一瞬を生きていくことなのではないかと感じました。

今一瞬を生きていくことを邪魔するのが、「はからい」なのだと思います。

私たちは、生きていく時に、どうしても他人の目が気になります。

他人の前で恥をかけば、それはさらに高まります。

人は人、自分は自分と割り切ろうとしても、他人が自分をどうみているか、変に思われてはいないか、軽蔑されているのではないか、と心配になります。

ひとつひとつの行動も気になり、あの時あの人にああいうことを言ったけれど、あれで良かったのか。あの人は、あんなことを言ったけれど、本当はどんな意味だったのだろうか、と過去の出来事や会話を振り返っては点検します。

自分の未来の言動まで、前もって点検することもあります。

相手がこう言ったら、こちらはこんな風に言おうと、あらかじめ段取りを決めます。

これでは、現在の時間は、過去の言動のチェックと、未来の行動の段取りに費やされていきます。

これが、まさに「はからい」であり、今一瞬を生きることを邪魔する元凶です。

真面目な人ほど、自分の失敗や欠陥を許すことができない為に、「はからい」に囚われてしまう危険性が高いように思います。これは、他人から良く見られたい「私」に執着しているからに他なりません。

お釈迦様は、諸法無我の教えの中で、全ての命は、それ単体で存在しているものはなく、互いに補い合いながら、もちつもたれつで生きていると説かれました。こだわっている「私」、守りたい「私」という存在も、一人では生きてはいけず、様々な繋がり、ご縁の中で生きているわけで、「私」単体に執着する意味はあまりないのです。

最終的にヘリゲルは、弓を通して、「私」という執着を手放し、語り得ぬ「無為」の境地にたどり着いたといいます。現代の、「自分の力で何とかすべし」、といった「自己責任論」が、多くの「はからい」を生んでいます。

「私」を手放すことで生きやすくなる。信仰を通して「安心」を得るとは、このことではないかと思うのです。

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■楽曲提供:小馬崎達也
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