ノーベル文学賞 記者会見ができない理由 こわい韓国現代史 島国にはわからない事情

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ノーベル文学賞は、韓国の韓江氏に決定した。しかし、彼女は記者会見も開かず、インタビューも一切受けない、と言う。周辺情報を拾ってみると、これは彼女に特殊な事情があるためではなく、韓国あるいは韓国人の方に特殊な事情があるからだ、というように思える。

それは今回文学賞選考委員会でも重要な作品と見なされたと言う「少年が来た」という作品などでも明らかなのだが、その状況設定が際立って韓国あるいは韓国人にとってヤバい(傷口をえぐるような)ものだからなのだろう。この作品で言えば、それは1980年5月18日以降における光州市に住む家族の物語である。

韓国は、特殊な現代史を生きている。大日本帝国が突然ポツダム宣言を受諾したことにより、彼らは支配者を失った。北からはソ連軍が、そして海からは米軍がやって来た。そして、地元民の知らないうちに、北部は金日成が、そして南部は李承晩が支配するようになる。38度線の南側では、李承晩の独裁体制が米軍の後ろ盾を得て確立するが、1960年の大統領選挙で不正を行った、と指弾され、韓国のいたるところで暴動が起こる。200名近くの死者を出した暴動の結果、李承晩は旧宅のあるハワイに亡命をする。

暴徒たちは念願がかなったと考えるが、さりとて国家の建設など、どうしたら良いのかは分からなかった。混乱状況を解決したのは朴正熙であり、彼は国軍を動かして、軍政を開始する。1965年に佐藤栄作政権と日韓基本条約を締結すると、日本からの資金で韓国は驚くべき経済発展を遂げる。政権は長く続いたが、1979年朴正煕の暗殺によって、その時代は突然に終わった。

国民は再び独裁権力が消えたことを喜ぶが、国家の樹立ができないことは変わらず、結局翌年、全斗煥が再びの軍政を開始する。それに怒った人々の暴動が起こるが、最大級のものは光州市で起こる。全斗煥政権は光州市を包囲し、電話網を停止し、軍隊が市民を制圧しようとしたため、市民は武装蜂起して内戦状態となり、10日間ほどの戦いの末、政府軍側が勝利する。ここでも200名くらいの死者が出ている。

そういう血なまぐさい光州事件を背景とした文学作品がノーベル賞を取った、となれば、それは必然的に政治問題化する。受賞者が何を言っても、それは左右両方の勢力から政治利用されざるを得ない。ゆえに、彼女は韓国内で何一つ語ることができない状況になっているものと推測される。

光州市とその近傍の全羅道は、今でも圧倒的にともに民主党の地盤である。他方、大邱市と近傍の慶尚道は、圧倒的に与党の地盤である。政治勢力の分断は、地方の分断にもなっている。激しい対立関係にある韓半島は、勝者が敗者を完全に排除しようとする大陸や半島の政治文化を背負ってもいる。

文学は人間を描くものであって、政治的なプロパガンダを語るものではない。しかし、テキストである限り、政治利用されやすいものであることも確かだ。著者が語る声を我々が聴くためには、ストックホルムで行われるであろう12月の受賞者によるスピーチを待つしかないようである。

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