品川の歴史見学#1~大森貝塚

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品川区大井6丁目にある大森貝塚は、とても有名な縄文時代の遺跡です。明治10年(1877)、アメリカからやってきた動物学者のモースが、横浜から東京へ向かう途中に蒸気車の窓から発見しました。モースは、線路の脇にあった貝塚とそのまわりを掘って、4,400~2,300年ほど前の人たちが暮らした痕跡をみつけました。地中に埋もれている家の跡や貝塚、土器や土偶、古墳、道や堀の跡などをまとめて遺跡といい、これを掘り出して調べることを発掘調査といいます。そして、それを学ぶ学問が考古学です。モースは、ここで見つけた貝塚や土器、動物の骨などを細かく観察して本にまとめ、後の時代の模範になりました。そのため、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれ、とても有名な遺跡になりました。今日は、大森貝塚で縄文時代の勉強をしてみましょう。
【縄文時代ってどんな時代?】
 およそ15,700年から2,300年前の時代のことを指します。とても前のお話ですが、そのころ、いまの品川区にあたる地域にはたくさんの人たちが暮らしていました。品川区で見つかっている縄文時代の遺跡は、大森貝塚、大井権現台貝塚、居木橋遺跡、池田山北遺跡などがあります。当時は、今よりも暖かい気候だったので、海面が高いところにありました。いま目黒川が流れているところや、京浜東北線・東海道線の線路のある辺りは、縄文時代は海だったのです。今よりもずっと近くに海がありますね。想像できますか?
 当時の人たちは、海が近い台地に住み、海辺にやってくる動物、魚や貝のほか、木の実などを採り、食べて暮らしていました。だから、縄文時代の人たちの家の跡や貝塚は台地で見つかることが多いのです。海では魚や貝がとれますが、貝は食べても貝殻は食べませんね。いま私たちは、貝殻をゴミに出すと思います。縄文時代の人たちは、家の近くの海岸に動物の骨や割れた土器などと一緒に捨てました。これが積み重なるとあるものができます。なにかわかりますか?そう、貝塚です。縄文時代の遺跡では、貝塚と住居の跡が一緒になって見つかることがあります。モースの調査は線路の近くだけでしたので、住居の跡は見つかりませんでした。大森貝塚で住居の跡がみつかったのは、昭和59年(1984)に品川区が調査したときのことです。
【大森貝塚遺跡庭園に行ってみよう!】 
 それでは、品川歴史館から歩いて5分のところにある、大森貝塚遺跡庭園に行ってみましょう。坂を下って大森貝塚遺跡庭園に到着しました。大森駅の方は上り坂になっていますね。ちょうど大森貝塚の南側が谷になっていることがわかります。これは昔から変わらない地形で、今は品川区と大田区の区界になっています。ここは江戸時代からは昭和のはじめころまで品川用水が流れており、縄文時代は川だった可能性があります。こうした川・用水や堀などは土地の境として利用されることが多いのです。昔のことを調べに出かけるときは、いつも地形を気にしながら歩くと発見がありますよ。
 品川歴史館には、大森貝塚と大森貝塚遺跡庭園のことを調べるのに役立つ本やパンフレットがあります。ぜひ使ってみてください。
【大森貝塚碑が建っているところはなに?】 
 線路際にやってきました。足元がでこぼこしているので、歩くときは気を付けましょう。「大森貝塚」と書かれた大きな石の碑があります。この碑は、モースが大森貝塚を見つけたことを記念して、昭和4年5月に建てられました。1929年のことです。
「大森貝塚」の文字は右から左に書いてあります。いまでは、文字の横書きは左から右に書いていきますが、昔は右から左に書きました。
 さて、この碑があるところだけ少し出っ張っていることに気が付きますか?実は、ここは大森貝塚遺跡庭園で一番重要な場所です。ちょっと難しいですが、線路際ということをヒントに、ここが何の場所か考えてみましょう。この線路の辺りは、縄文時代には何があったでしょうか。そう、海がありました。では、海の近くにつくられたものは…貝塚ですね。ここは、モースが貝塚の調査をした場所の一部なのです。南側の端がこの三角の土地というわけです。モースは、ここで貝殻だけでなく、多くの土器や動物の骨を発見しました。土器には縄で模様が付けられていました。モースはこの模様を「縄文」と名付けました。縄文が付いている土器を使う時代を縄文時代といいます。
 当時、モースは東京大学で先生をしていたので、大森貝塚で見つけたものは、東京大学にあります。品川歴史館にはそれを本物そっくりに作ったレプリカが展示してあります。品川歴史館には、その後の調査で見つかった土器や動物の骨、ほかの遺跡で見かった土器もあります。大森貝塚遺跡庭園と一緒に見に行ってみましょう。

【縄文時代の海を想像してみよう!】
 大森貝塚の碑があるところから少し登ってきました。ここは、縄文時代の家の跡が見つかった場所です。振り返って線路の方をみてみましょう。
モースが調査をしたのは、大森貝塚の碑からこの下あたりにかけての場所です。危ないから線路のほうには下りないでくださいね。縄文時代は目の前の線路のあたりまで海でした。ここで目をつぶって縄文時代の風景を想像してみましょう。…海、見えましたか?
【おわりに】

 いま、モースが調査した遺跡は地面のなかに埋め戻して保存してあります。実は、調査はされていなくても、品川区にはそういうところがたくさんあります。普段歩いている道が昔からある道かもしれません。
 また、学校がある場所、近くにある神社やお寺、坂、曲がりくねった道、鉄道・バスなどの交通と移動の手段、昔の人のことなどを調べるのもおもしろいと思います。

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