博多1号墳

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博多1号墳, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1... / CC BY SA 3.0

#福岡県の古墳
#博多区の歴史
博多1号墳(はかたいちごうふん)は、福岡県福岡市博多区に位置する博多遺跡群から発見された、博多区御供所町1番と博多区御供所町65番地および66番地に存在した前方後円墳である。
1985年(昭和60年)5月に、西日本鉄道株式会社によるビル建設に伴い、東側の約1745平方メートルが発掘調査された(博多遺跡群第28次調査)。
その1年後に、西側の約160平方メートルがアイチコーポレーションによるビル建設に伴い発掘調査され(博多遺跡群第31次調査)、前方後円墳の形状に沿って葺石が残っていること、わずかながら埴輪などの遺物が出土したことから、前方後円墳の存在がはっきりとした。
その後、残っていた葺石や小石室は、西鉄祇園ビルの建設にともない周囲の古代から近世の遺構とともに消滅した。
現在、跡地には西鉄祇園ビルと博多セントラルビルが建ち、古墳があったことを示すものは何も残っていない。
残存する葺石の配列から、全長約60メートルから70メートル、後円部直径約40メートルと推測され、同じ福岡平野では那珂八幡古墳(古墳時代初頭)、老司古墳(4世紀後半)に匹敵する規模を持つ。
古墳の主体部は墳丘もろとも削平された後であったが、周溝埋没後には後円部の周辺に7基の小石室が前方後円墳の葺石や石室の石材を用いて築かれた。
その内1基は赤色顔料が塗布された石材を用いており、主体部は装飾古墳であった可能性も指摘されている。
出土した埴輪は大半が円筒埴輪だが、量は多くないものの形象埴輪の破片も出土した。
ただしどのような形に復元できるかは不詳。
いずれも赤色顔料が塗布されてある。
この他、古墳に関連する遺物として、周辺の中世・近世の遺構から碧玉製管玉、鉄鏃、金環が出土している。
埴輪の形状や小石室の構造から、前方後円墳の築造は4世紀末から5世紀初頭(古墳時代中期)、小石室の築造は6世紀後半から7世紀後半であると推定される。
葺石の列が平安時代の溝により切られている場所があることから、平安時代には墳丘の崩壊がかなり進行していたことがわかっている。
博多1号墳のほかにも、博多遺跡群には古墳と思われる場所が存在する。
博多1号墳の北東側約100メートルの博多遺跡群第109次調査区(博多区博多駅前1丁目、現在の第14岡部ビル付近)では、前方後円墳のものと思われる周溝か検出されており、円筒埴輪の破片が周溝と周溝と同じ調査区の中世から近代までの遺構から出土した。
一部は赤色顔料が塗布され、5世紀後半に比定されている。
博多1号墳の西南西約200メートルの博多遺跡群第166次調査区(博多区祇園町、現在の福岡商工会議所向かい側)でも、前方後円墳のものと思われる周溝か検出されている。
博多1号墳の南西側約500メートルの博多遺跡群第171次調査区(博多区祇園町、現在のキャナルシティ東側)では、御笠川に伴う堆積と中世から近代にかけての遺構から、赤色顔料が塗布された円筒埴輪と家形埴輪の破片が出土している。
さらに、明治初期に埋められた房州堀の埋土から人物埴輪の頭部が出土している。
^ 『博多X -博多遺跡群第31次調査の報告-』では「祇園町」になっている。

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