【横山やすし・西川きよしし】 漫才傑作選 Vol.38

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【横山やすし・西川きよしし】 漫才傑作選 Vol.38
横山やすし・西川きよし(よこやまやすし・にしかわきよし)は、横山やすしと西川きよしによる、かつて吉本興業に所属し活動していた漫才コンビ。司会者としても活動していた。
通称は「やすしきよし(やすし・きよし)」「やすきよ(やす・きよ)」など。また、その独特の形式とテンポを持った漫才(後述)を特に「やすきよ漫才」と呼ぶこともある。
当たりギャグは「怒るでしかし!」(やすし)、「小さな事からコツコツと」(きよし)。
コンビ解消を繰り返していた横山やすしが中山礼子・八多恵太の勧めで吉本新喜劇の役者だった西川きよしを誘い、1966年5月21日にコンビ結成。コンビとしての初舞台は同年6月1日の京都花月。1960年代の演芸ブームで世に出て人気者となる。その後1980年代に至るまでテレビ番組の司会などで活躍。1980年代初頭の漫才ブームでは東西のリーダー格として頂点に達した。
1986年、西川きよしが国会議員(参議院)に当選して以降は活動休止状態となった。コンビとしての最後のテレビ出演は、『MAGMA30』での「二府四県対抗なんでもコンテスト」の司会だった。一方、横山やすしは度重なる不祥事で活動機会が激減し、やがて吉本興業の専属契約を解除。これによってコンビは事実上の解散状態となった。再結成のないまま横山やすしは1996年1月21日死去。西川きよしは2004年に参議院議員が任期満了となった後も、レギュラー番組を持つなど、第一線で活躍している。
横山やすし・西川きよしの初期のネタは、横山やすしが漫才のネタの台本の半分以上を書き、西川きよしがそのネタに訂正を加える形で行われたという。当初はお互いがお互いを蹴飛ばしたり投げ飛ばしたりし、「黒い背広が(ホコリで)真っ白になった」というほどの激しい「暴力漫才」で名を売った。
また、ライバルを見て、秘策を考えるなど、コンビが成功するために数多くのチャレンジをしていった。「客を波打たせる」をキーワードに、動きのギャグを控えて言葉のギャグの比率を高め、芸にメリハリを付け、間断なく客を笑わせるための芸風の改良をおこなっていった。
横山やすし・西川きよしは両方ともボケ・ツッコミができ、漫才の流れによっては、横山やすしがボケてきよしがツッコミをしている時に、不意に西川きよしがボケて横山やすしがツッコむという局面がある。つまり、漫才中に役割(ポジション)が突如交代する。この当時新奇だった形式は「『ボケ』と『ツッコミ』を交互に入れ替える“型破り漫才”」と評された。

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