中国文明の征服王朝

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次回の更新は3月29日(金)です。

動画で紹介した入試問題は以下の部分です。


2022年早稲田大学【法】世界史入試問題[1]より抜粋

…中国では、おそらく農耕と遊牧という生業の差異がおおもとにあって、のちには儒教や文字などによって基礎づけられる社会秩序や文化が及ぶ範囲としての中華と、その周縁に位置づけられる夷狄とを区別する、いわゆる華夷秩序(中華思想)という概念が形成されていった。たとえば、春秋時代には、周王を尊び、夷秋を討ち払うという意味で尊王攘夷を唱え、会盟をとおして他の諸に号令をかけることができた有力諸侯が、(あ)と呼ばれた。
華夷秩序にもとづく対外関係は必然的に対等なものではなく、周辺国による朝貢というかたちをとることになり、それは中国を中心とする国際秩序の形成に大きな影響を与えた。一方、中華は必ずしも地縁・血縁などにもとづく民族的な実体ではなく、現代の用語を使うならば「文明」かそうではないかという、社会・文化の有り様にもとづく概念であった。したがって、中華的な社会秩序や文化を受け入れ、一定の条件を満たせば、夷出身でも中華の担い手となり得たのであり、それは(e)漢民族以外によってうちたてられた王朝による中国支配を可能にしたとも理解される。…


設問5.空欄(あ)に入るとして最も適切なものはどれか。

①天子 ②皇帝 ③大夫 ④覇者


設問6.下線部(e)に関連し、漢民族以外によってたてられた王朝に関して述べた以下の文のうち、明白な誤りを含むものはどれか。

①(契丹)は、燕雲十六州を獲得して華北の一部も支配し、北面官が契丹人などを、州県制にもとづき南面官が漢人などを統治する二重統治体制を敷いた。
②華北にも侵入して宋の都であった開封を占領した金では、部族制にもとづく猛安・謀克という軍事・行政組織があった一方で、州県制も用いられた。
③元では、中国の伝統的な官僚制度を採用したが、中央政府の中枢はモンゴル人で占められ、また色目人と総称される中央アジア・西アジア出身の人々が財務官僚として重用され、元代を通じて科挙は行われなかった。
④清では、内閣など明の官制がほほ受け継がれたー方で、軍制においては、漢人で組織する緑営のほかに、ヌルハチが創始した八旗という軍事・行政組織があった。

正答
設問5:④
設問6:③

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