海界の村を歩く 太平洋 大島 波浮(東京都)/火口湖地形の漁業で隆盛を極めた町

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島の南東に位置する波浮港は元々は火口湖だった。「波浮の地」と呼ばれていたが承知5年(838年)の水蒸気爆発と元禄16年(1703年)の大地震で東南の岩盤が崩れ海に通じた。寛政2年(1790年)田村玄長の薬草調査に案内者として来島した上総の人秋広平六は、幕府に願い出て工事の一式引受人として港口の開削にあたった。5カ月かけて寛政12年(1800年)工事は完成した。こののち、「波浮の港」と呼ばれるようになり、港の南近くに近海有数の漁場、大室出しを控えて沿岸漁業の中心地として、また嵐の際の避難港としても各地の船が集まり隆盛を極めた。
波浮港は、火口湖であった歴史から港の外周は崖で囲まれている。したがって、宅地は外輪の丘の上と下にきっぱりと別れてる。丘の上は大きな屋敷地がみられ、丘の下は港とともに発展した街でかつての遊郭時代の面影を偲ばせている。港の壇上に建つ木造三階建の建物は、旧館が明治、新館が大正時代に建築された旧港屋旅館である。三原山が噴火すると夜の海は明るくなり、沿岸の漁場は大変な豊漁になったという。その時は、全国から漁村がこの波浮港に集まり埋め尽くした。
【伊豆大島】
東京の南海上120km、伊豆半島熱海東海上46kmにある、周囲50kmの伊豆諸島中最大の島。島の大半は玄武岩質で中央には世界三大流動性火山として有名な活火山三原山がそびえ、有史以来噴火を繰り返している。島の東側は急な崖となっており西側の海岸線沿いの平坦地に6つの主要な集落が点在している。神亀1年(742)から1000年に渡って政治犯の島流しの地と定められ、源為朝らが流された歴史もある。港は島北東部の岡田港、北西の元町港があり、天候によって使い分けられている。

集落町並みWalker
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Database 大島波浮
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