自由ドイツ青年団(FDJ)【和訳カタカナ歌詞付き】(IFA Wartburg)

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モインモイン!
本日の曲はポップス枠にするかどうか迷ったのですが、東ドイツと強い関係を持つ曲であるためにあえて東ドイツ枠で入れてみました。リクエストありがとうございます!

〈曲について〉
 自由ドイツ青年団(FDJ=Freie Deutsche Jugend)は東ドイツに存在した青年組織で、この曲はこれを歌っています。実は第二次世界大戦以前にパリやプラハで成立しており、ナチス=ドイツの占領を逃れて1939年からはイギリスで活動していました。東ドイツが成立すると、社会主義統一党と政治的に強く結びつき、政治的な青年組織として発展し人民議会には代表者も置かれました。活動目的はマルクス・レーニン主義の青少年に対する普及でした。自由加入だったが、加入しなければ職業選択や進学に不利益があったことから、ドイツ統一直前の時点で230万人の若者を集めました。ドイツ統一によってFDJの政治的な意味は失われ、加入者数は10,000分の1以下に激減しましたが、現在も存続しています。
 この曲はスウェーデンのバンドであるIFA Wartburg(イーエフアー ヴァルトブルク)によって書かれた曲で、1998年に発表されました。すなわち、東西ドイツ統一後に書かれたわけです。最初に1965年のヴァルター・ウルブリヒト(当時の東ドイツの指導者)の演説が引用されます。この演説の中でウルブリヒトは西側諸国の音楽を批判し、政府としてこれを禁止する方針を示しました。これにより、ロックミュージックは東ドイツで禁止され、ホーネッカー政権になるまで規制が続きました。反発した若者はライプツィヒで抗議活動を展開し、多くの逮捕者を出す事態になりました。完全な皮肉なのは、ウルブリヒトの引用に続いて始まるこの曲が完全に西側的な音楽であるということでしょうか。
 なお、IFA Wartburgというのは東ドイツで愛された自動車会社とその車の名前です。メンバーは二人で、東ドイツで活動していたという「設定」があり、名前もドイツ風のペンネームを使ったりもしていますが、実際にはほとんどドイツ語はしゃべれなかったとか(ほんとか?)。ただ、実際にこの曲もよく聴いていると発音が怪しいところがところどころあるので、少なくともネイティブでないというのは本当のようです。IFA Wartburgは1998年に唯一のアルバムを発表した後、ツアーを行い、翌年解散しました。一応1984年に結成したようなのですが、少し調べたくらいではどのような活動をしていたのかよくわからず、不思議なバンドであるという印象を受けました。

〈訳について〉
・最初の演説
1965年10月に当時の東ドイツの指導者であったヴァルター・ウルブリヒトが行った演説で、西側諸国から入ってくるロックミュージックを批判し、それを禁止しようという趣旨の内容になっています。

・Diе soll bilden und erziehеn unsere Generation
その組織は我らの世代を教育し、領導するのだ
bildenもerziehenも教育するという単語ですが、erziehenの方がしつけるとか、引っ張るという意味が強いので、領導すると訳してみました。

・Nur ein Streber geht vorüber Andern aber wir sind alle Freie Deutsche Jugend
点取り虫のやつらはただ他人のそばを通りすぎるだけ、でも我らはみな自由ドイツ青年団だ
「点取り虫」が何を指しているのかよくわかりません。立身出世主義者のことも指す単語ですが、資本主義者のことですかね?

・Sieben, acht, der Warsawapacht und
7、8、ワルシャワ条約機構との、そして
"Warsawapacht"とありますが、ドイツ語でワルシャワ条約機構はWarschauer Paktです。また、ポーランド語ではWarszawaであり、これも違います。ロシア語でワルシャワはВаршаваであり、これをラテン文字転写するとVaršavaなので、これをもじったのでは、と思います。またPachtはドイツ語で賃貸借権とかいう意味なので、暗にソ連が東欧国家を支配していたことを揶揄しているのではないかと思います。

・D-E-F, ein richtiger Treffer
D-E-F、正確な命中弾
なんのことかよくわかりません。誰か教えてください。

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