天空の滝 outtake

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【映像作家の日記】
作品上映会後に体調を崩して撮影から遠ざかっている。
1日の中で撮影する時間がないということは、生きていても苦しみしかない。常に手術の後遺症である不快感は消えず、今は排便障害が引き金になって体調不良、外出すら出来ない。
なんの為に苦しみを我慢して生きているのか、もう分からない。
以前のように撮影できる体力はもうない。だからと言って、心の中でけじめをつけて終わることはとても難しい。
NHKの仕事はもうない。上映会もやり切った。6月上映会の赤字でとどめを刺された。
映像作家として経済的にも自立出来ず、活動を続けるお金も稼げていない。もう、撮影を続けなければならない理由はどこを探しても見つからない。
言い換えると、世の中から私は必要とされていない。
個人的に私の映像詩を気に入ってくださる方はいても、この私が生きている世界は私に生業としての居場所を与えてはくれない。それどころか、弾き出される感覚すらある。
癌になる前の私は自分が目指すテレビカメラマンを天職だと信じ込んで、一生をかけて仕事をまっとうするつもりだった。
10年前に癌がわかり、余命宣告を受け、手術によって命を救われ、2年間のリハビリから職場復帰を目指して頑張った。なんとか職場に戻ってマイナスからの再出発までたどり着いた。
しかし、後遺症である排便障害を乗り越えることは出来ず、癌は再発する。
それでも仕事を諦められずにいた。
病気を抱えて仕事を続けられないと分かってはいたが、諦めきれずにもがいていた。撮影の前日と当日は完全に絶食して仕事の現場に立った。
でも、その時もどれだけ頑張っても奇跡など起きないと薄々感じてはいた。
10年以上も続けていた「一万人の第九」の撮影を終えた翌日だった。
お世話になっていた番組ディレクターから「すべてのカメラが保山さんなら良かったのに」そんなメールが届いた。
第九の撮影は15台以上のカメラを使う。ディレクターは私が最も優れたカメラマンであったと、映像を見ての評価をそのような言葉で伝えてくれたのだった。
自己評価では50点程度の撮影で少し悔しく思っていた。
それでもディレクターからそんな言葉をいただき、テレビカメラマンを辞める決心がついた。
私が目指す理想のテレビカメラマンの姿は、ディレクターに必要とされる、その一点だった。テレビ業界の中で、必要とされるカメラマンになるために頑張ってきたのだ。
そして、お世話になったディレクターから最高の賛辞をもらい、諦めることが出来た。この体でテレビカメラマンを続けることは、誠実な判断ではないことを誰よりも私自身が一番よく分かっていた。
そして、現在。名刺がテレビカメラマンから映像作家になり、これ以上は続けられない状況に追い込まれている。
体も心も、どれをとっても今の活動は続けられない。
諦めなくてはならない。いや、続けたくても続けられる状況にはない。
でも、諦めることが一番難しい。
今の私から撮影を奪われたなら、病気から逃げられない無限の苦しみしか残らない。唯一の苦しみを忘れられる瞬間が撮影に没頭している時。この映像を撮影している時も病気の苦しみはどこかへ消えていた。
7月上映会で納得の出来る新撮の映像詩を上映することは難しい。
外出中に派手な失便が続き、外出することが怖くなった。完全に外出恐怖症になっている。今日も自宅にいながら、ベッドからトイレまでの20秒が我慢出来ずに3度も失便してしまった。
私はどうすれば良いのだろうか。誰も教えてはくれない。
ただひとつ確実なのは、この病気はこれ以上良くはならない。
普通の生活を送ることは出来ない。
NHKから仕事の発注があれば、どこかのスイッチが入って道が見えるような気もするが、新たな仕事の話はない。私はただの失業者でしかない。
目の前の信号が急に赤信号に変わったので立ち止まって待ってはいるが、いつまで経っても青信号には変わらない。
そして、気が付いた。この赤は信号の赤ではなく、終着駅を示す赤だったのだと。永遠に青には変わらない。
もう生きていても苦しみしかない。

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