鷹ノ巣避難小屋泊|峰谷から浅間尾根、水根へ。

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静かな山村、峰谷の集落に、臨時のバスも出る大盛況ぶりで大勢のハイカーがあつまりました。

薫風さわやかなこの季節、奥多摩のハイキングは大人気です。自然が目覚め、新緑が山々を覆い尽くします。もはや暑いくらいのハイキング日和です。
日帰りハイカーさんたちを見送って、ゆっくりスタートします。

さて今回の登りは、コースタイムで3時間半、浅間尾根から避難小屋を目指します。

奥多摩の山々も古くから特に江戸時代に北関東から富士山を目指したという冨士講の路(権現の路)の要衝です。
山頂や尾根、沢などにも今も浅間の名が多く残り、浅間神社も至る所にまつられています。
北関東から秩父を経て、奥多摩に入る権現の路は大きくはふたつが知られています。

ひとつは、蕎麦粒山の西に位置する仙元峠。(これを書いてて思ったのが、もとは浅間の字をあてていたのか?)こちらは一杯水避難小屋に泊まった時、歩いてみた道です。浦山大日堂からヨコスズ尾根で日原にむかったと言います。

そしてもうひとつが、秩父から三峯神社を詣で、妙法ヶ嶽、雲取山を越え、七ツ石明神、鷹ノ巣手前からこの浅間尾根を小河内原の湯之権現へと下る道です。富士講のご一行さんたちは、湯場で疲れをいやした後、さらに大菩薩嶺から塩山、富士吉田を目指したといいます。(金邦夫さんの「奥多摩四季」より)

さて、私の旅。峰谷から出発し、登山口に辿り着いてすらいないのに、山道を延々と歩いたところで、集落の中に飛び出します。
その名も奥集落です。ここは東京都で最も標高の高い場所にある集落だそうです。

谷を挟んで向いの尾根にも小さな集落があるのが見えます。あちらは峰集落。
奥と峰は、炭焼きなどを生業とする人々が暮らしている集落でした。近い将来、無くなってしまうかもしれない集落の、人々の生活を想像します。

ひーひー言いながら、ようやく浅間神社がある場所にたどりつきました。
浅間神社なので、富士山が見えるか、あるいはかつては見えた場所であるはずですが、現在は、杉林が濃すぎて富士山は見えません。

そうして予定の行程の中ほどまでいくと、原木シイタケの栽培がおこなわれていました。
すっごいたくさん!一面シイタケ!
ほとんど好き嫌いのない私ですが、唯一シイタケだけは食べられないのです。とほほ。
もはや致死量のシイタケの数を見て、現在の奥集落に住む人々の、仕事ぶりに感心します。

シイタケを越えると、緩やかな登りとなり、木漏れ日が射し込む中、野鳥のさえずりが耳に心地よく響きます。
この間、例えるなら座禅の境地、ほとんど無みたいになって、歩みをすすめていると、水場にたどりつきました。今回も東京都水源林のお水をじゃぶじゃぶといただきました。

鷹ノ巣山避難小屋は、石尾根を縦走する登山者にとても人気のある避難小屋です。
今回は、私を含めて5人が泊まりました。けっこうギュウギュウ。
小屋そばの防火帯の開けたところに4張りのテントもありましたので、人の多い週末だったのではないかと思います。

鷹ノ巣山避難小屋のことを調べていたときに、ある方のレポを目にしました。

その方が鷹ノ巣山避難小屋に泊まられていた時、八丁山で滑落した人を翌朝みつけるために夜間に30人近くの消防隊、警察の方が来られたそうです。
もちろん、全員が小屋には入りきらないため、中にはエマージェンシーシートをかぶって、ツツジの下や軒下で睡眠をとられる方もいた。

しかし誰一人、愚痴や文句を言わなかった。

これを読んだとき、涙がでました。ありがたくて。鷹ノ巣山避難小屋、まさにこの場所。

ギュウギュウ、とか贅沢なことを言ってしまいました。
あらためて。避難小屋は、こうした捜索隊のベースになる場面もあるのだと。捜索や救助活動の連絡拠点や、効率を高める役割。
いっそう、大切に大切に使わなければ!と思います。

下山時の水根のコースも、沢沿いを歩く大変美しいコースでした。最後はオオカメノキの群生に見送られての旅でした。

■追記
オオカメノキと思っていたら、「ウツギ」の仲間・ガクウツギみたいです。
植物の世界も多種多様で、踏み入れたら最後、沼ですね。
花弁の数、葉っぱの形、厚み、葉脈、これらをよく観察しなければいけません。
花弁があるうちは(正確には花でなくてガクだったりしますが...)見分けやすいかも。
少しずつ覚えていけたら、出会いがさらに楽しくなりますね。

撮影日:2024年5月18日(土)・19日(日)

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