現存最古⁉『幻の日本チャチャチャと男子バレーの栄光』1968~1981

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【日本チャチャチャの軌跡】メキシコ五輪(1968)で『ハポン(日本)チャチャチャ※2』と現地観客の声援を受けた男子体操の加藤沢男。ミュンヘン五輪(1972)では異国の地で『ニッポンチャチャチャ』の祝福をされた男子バレーボール陣、4年後のモントリオール五輪では二連覇を目指し、準決勝でポーランドと対戦。試合はフルセットにもつれ込み『日本チャチャチャ VS ポルスカ・チャチャチャ』の応援合戦にも熱が入った

熱狂のW杯バレー(1977)では男子バレーの親衛隊?が活躍。この時代、聞き覚えのある黄色い声援が国内外で轟いた。また、1981年大会で伝説となった三屋裕子のアクシデントは以後、象徴的に語られ、フジテレビのプロモーションもあり、『日本チャチャチャ』は現在、あらゆるスポーツにおける応援スタイルの定番となりました

※現存する記録映像が確認できたもので構成しております
※2:ハポン(Japón)とは、スペイン語で「日本」のこと

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男子体操は1960年のローマ五輪から団体5連覇、女子バレーも1960年世界選手権から1981年W杯まで参加した全ての三大大会で金か銀メダル獲得と、日本のお家芸と呼ばれ、世界的にもリスペクトされていたので、各地への遠征や大会では熱心な「ニッポン、ニッポン」の大声援を受けるなど熱狂的な応援の様子が古い文献にも残っていますが、今回の映像ではその一旦が垣間見えるのではないでしょうか

世界での『〇〇(国名) チャチャチャ』という応援スタイルの起源については専門家に任せるとして、少なくとも1960年代には一般化していたようです。日本チャチャチャの発祥に関しては上記次第で、1960年代前半なのか後半なのか、現状、確かな情報は出ておらず、戦後、日本が世界で活躍していた競技なら、どの種目にも可能性がありますが、当時の一次情報やマスコミ報道ですら、情報の乏しい時代なので信頼できるか多面的な検証が必要な上、そもそも、埋もれて出てこない情報の方が多いと思われますが、現在、ネット上で確認できる諸説(基本的にメキシコ五輪前後※)よりは早かったのではないでしょうか

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※その当時の記述で日本チャチャチャに触れていると思われるものもありますが、特に新しい応援スタイルとして捉えられている様子は伺えませんし、元々、記録に残りづらいテーマであり、発祥について、1960年代当時から広く周知されていたような通説は残っていません。そのため、現在、ネット検索で出てくる情報は基本的に後追いであり、諸説というにも客観的な根拠に乏しい【風説】しか見当たらないのが実情です

1981年W杯バレー発祥だとメディアで紹介されていた時代もありましたし、その1980年代まで他競技では行われていなかったと思い込んでいた私設応援団の【自称起源説】や根拠不明のチェコ由来説など、誰かが「おもちゃのチャチャチャ(1959)」をヒントに自分がアレンジしたと言えば、それが通ってしまうのでは?とすら思える状況です

近年は国内外の古い映像にアクセスし易い時代となり、既存の諸説が想定していなかった映像も散見されるようになりました。今後、真っ当な研究が行われるなり、より古い記録映像が発掘された場合、簡単にひっくり返ってしまうような諸説(もどき)しか見当たらないのが現状のようです

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今回の動画の『日本チャチャチャ』に関しても、限られた資料映像の中から確認された『氷山の一角』であり、五輪という注目度の高い舞台の金メダル映像だからこそ、現代まで残ったのではないでしょうか。メキシコ五輪の方は注意して聞くと、少人数の日本人応援団が「ニッポン」と始めて、それが会場全体に広がった(途中からハポンに飲み込まれた)感じで、既に現場では『日本チャチャチャ』を主導していた様子が伺えます

当時、もちろん日本からの応援団もいますが、試合を終えた選手や在留邦人も多く駆け付けて、応援をサポートしてくれたそうです(五輪に限らず、世界選手権や遠征先の地方大会も)ミュンヘン五輪の表彰式のシーンに関しても試合中から行われていた日本人の応援が耳に馴染み、周りの現地観客がのってくれたようです(それで少し変則的なリズムになった)

バレーの場合、1960年代に『男子バレーを愛する会』というファン組織が発足されるなど、女子と比べ、男子バレーの方が日本チャチャチャ含め、組織だった応援がコンスタントに行われたり、国内外の大会で黄色い声援が目立つ傾向はあったかと思います

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メキシコ五輪の男女バレーの記録映像は現存したと思いますが、今回は断片的なものしか見当たりませんでした。当時はビデオテープが貴重で、テレビ局でも使いまわしていた時代なので、更にメキシコ五輪以前となると、時代的になかなか難しく、現存する『日本チャチャチャ』の記録映像としては、これが最古の可能性はあると思います。他に残っている可能性※があるとしたら、1960年代の体操やバレーボール世界選手権あたりでしょうか。意外と海外のテレビ局で残っている場合もあり、近年、思わぬ貴重映像に動画サイトで出くわす事があります

※当時、男女バレー全日本は毎年、欧州へ長期遠征をして現地の大会や練習試合に参加していましたが、やはり世界選手権クラスでないと、記録映像が残っている可能性は低いと思われます。日ソ対抗(1968年4月)のような対抗戦でも20%前後の視聴率があったようなので、断片的なものでも残っている可能性はあるのでしょうか。1967年9月の東欧遠征にはテレビ朝日(NET)が帯同したようです

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なお、日本チャチャチャが体操女子のベラ・チャスラフスカ選手(チェコ)を応援する「ベラベラ・ラララ」由来とする説もありますが、元々、欧州には「〇〇(国名) チャチャチャ」という応援スタイルがあり、国際大会では割と一般的だったので関係ないと思われます。当時、各競技の海外遠征や大会に帯同した関係者や応援団はもちろん、一般でもテレビ中継等を通じ、知り得た応援スタイルであり、日本を応援するなら〇〇に『ニッポン』が入るのは当然なので、どこかのタイミングで取り入れられても自然だと思います※3

「ベラベラ・ラララ」と「〇〇チャチャチャ」ではリズムも違いますし、別途、メキシコ五輪では「ハポンハポン(日本)・ラララ※4」という応援も行われていたので、恐らく、そこから連想されたんだろうと思いますが、「〇〇チャチャチャ」は特にメキシコ五輪で生まれた応援スタイルではありませんし、当時は十分な情報もなかったから仕方ないとは思いますが、誤情報がそのまま伝わってしまったのかと

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実際、日本では【1981年のW杯バレー※5】が日本チャチャチャ発祥だとメディアで紹介されていた時期があるので、必ずしもメディアやネット情報が正しい訳ではないという事だと思います。今回、UPに辺り、Wiki等も調べましたが、明らかな誤情報があったり、十分な根拠のない恣意的な情報も見られ、それが既成事実のように後世に伝わってしまう危うさを感じました。ネットはもちろん、公のメディアで情報を扱う場合は慎重に行って欲しいと思います

また、発祥はもちろん、普及の過程も重要と考えます。日本チャチャチャが海外版オリジナルの【カバー】であるなら、後の時代になってから発祥を特定するのは事実上、困難であるようにも思いますが、普及に関しては【カバー】を国民的にヒットさせ、老若男女に周知させたのが古くから人気スポーツだったバレーボールである事は明白であり、定着に寄与した役割は大きかったといえます(サッカーが国内でメジャーになったのは1990年代以降)

今回の動画が1960~80年代の一般大衆が目撃した『日本チャチャチャの軌跡』の本流(の現存する一部)である事は確かで、この間の国民的な定着がなければ、国内スポーツの応援スタイルが現在とは異なっていた可能性もある訳で、不確かな発祥論だけにスポットを当てるのも違うように思います

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※海外版に【日本】を当て嵌めただけなので、そもそも発祥と呼ぶべきものなのか疑問はありますが、今回の動画のように海外の現地観客が日本を応援するために行う場合もありますよね

※3:モントリオール五輪(カナダ開催)のようにポーランドの応援団が『ポルスカ・チャチャチャ』で盛り上げ、それに対抗するように日本チャチャチャの応援合戦になる事もありますし、『〇〇(国名) チャチャチャ』が欧州発という事であれば、毎年のように行われていた欧州遠征での様子は想像に難くないのではないでしょうか

1960年代前半の文献でも日本の好プレーに海外の現地観客が盛り上がり、ニッポン、ニッポンの大声援が起こったというような「それっぽい」記述も散見されます(日本チャチャチャという呼称が定着するまで「場内、ニッポン、ニッポンの大声援です」という表現はよく使われていた)

【この辺りにルーツがあると考える方が、チェコ由来説よりは自然なように思います】

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※4:主に地元メキシコの観客がその掛け声を気に入り、応援している方に「〇〇ラーラーラー」と声援を送っていたので、あまり日本人応援団は関係ないかと。また「チェコチェコ・ラララ」は東京五輪(1964)でも行われており、チャスラフスカ選手がメキシコ五輪同様、大活躍した大会でもあります

※5:1981年W杯アメリカ戦で三屋裕子が転倒するアクシデントがあり、場内の観客が三屋を励ます目的で送った声援から『日本チャチャチャが生まれた』という発祥説が1990年前後のテレビ番組等で紹介されていた

【参考】日本チャチャチャ発祥⁉
『女子バレー三屋裕子・伝説のアクシデント』
   • 女子バレー三屋裕子【伝説のアクシデント】 ~日本チャチャチャ傳~  

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メキシコ五輪(1968)

男子体操 加藤沢男 22歳
個人総合 :  優勝

4年後のミュンヘン五輪でも個人総合2連覇。日本人歴代最多『8個の五輪金メダル』を誇る

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ミュンヘン五輪(1972) スタメン表

猫田勝敏: 179㎝ 28歳
木村憲治: 185㎝ 27歳
森田淳悟: 194㎝ 25歳
深尾吉英: 194㎝ 23歳
大古誠司: 194㎝ 24歳
横田忠義: 194㎝ 24歳

サブレギュラー
嶋岡健治: 186㎝ 23歳

東京五輪から銅メダル、メキシコ五輪の銀メダルときて、悲願の金メダルを獲得した
(ミュンヘン五輪・男子バレー決勝の視聴率は58.7%)

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モントリオール五輪(1976)

猫田勝敏: 179㎝ 28歳
丸山孝 : 190㎝ 23歳
西本哲雄: 190㎝ 25歳
深尾吉英: 194㎝ 27歳
大古誠司: 194㎝ 28歳
田中幹保: 195㎝ 21歳

サブレギュラー
横田忠義: 194㎝ 28歳
小田勝美: 198㎝ 24歳
嶋岡健治: 186㎝ 27歳

準決勝で優勝したポーランドにフルセットで惜敗。3位決定戦でもキューバに敗れ、史上初めてメダルを逃し4位

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ワールドカップ(1977)

猫田勝敏: 179㎝ 33歳
西本哲雄: 190㎝ 26歳
森田淳悟: 194㎝ 30歳
小田勝美: 198㎝ 25歳
田中幹保: 195㎝ 22歳
花輪晴彦: 190㎝ 23歳

サブレギュラー
深尾吉英: 194㎝ 28歳
嶋岡健治: 186㎝ 28歳

日本で初開催されたW杯は女子が大会通算の平均視聴率36%(韓国戦は48.6%)、男子も30%以上を記録。以後、FIVBが日本での恒久開催を決めた

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