「昭和の歌姫100人を歌う」No.042 松本ちえこ / 恋人試験 / ぼく / 恋人願書 / cover:伸[nobu] With 仲間達

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皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.042です。今回は、「松本ちえこ」さんです。松本ちえこさんは1959年11月12日生れ、2019年11月17日に60歳という若さでお亡くなりになりました。けして美人ではありませんでしたが、天真爛漫な愛嬌のあるキャラでファンに愛されました。
友達とテレビ朝日の歌番組「ベスト30歌謡曲」の観覧に行った際にスカウトされました。
テレビ局の人から「冗談でいいから番組で今度桜田淳子ちゃんの歌をうたってみてくれない?」と持ちかけられ、OKしたことがデビューの発端となりました。
その後、NETテレビ(現:テレビ朝日)の歌謡バラエティー番組『前武のヤングアップ』タレントスカウトコーナーに出場し合格し、
1974年、アイドル歌手としてシングル『ボーイフレンド』でデビューしました。
しかしデビュー当時は芸能情報誌の平凡や明星などの白黒ページに取り上げられることはあっても、パッとせず、本人も事務所もアイドルとしての成功は半ばあきらめかけていたそうです。
そのため、2曲目の『まぶしい彼』から1年あまりブランクがありました。
1976年に活動を再開し、再開直後に資生堂バスボンのCMでブレイクし、
CMで歌われた『バスボンの歌』が話題になりシングル化はされなかったが後にアルバムには収録されます。
その勢いもあり同年発売のシングル『恋人試験』が大ヒット、その後も「恋人」「学業」関連の楽曲が続き
『ぼく』ではスマッシュヒットとなりました。
しかし妊娠疑惑騒動によりアイドルからの転身を余儀なくされます。
●妊娠疑惑騒動
1977年暮れ頃から、松本の下腹部が急に膨れて外見からもはっきり分かるようになり、それを隠すためにマタニティ風の衣装を着ることが多くなってきます。
関係者からは妊娠が疑われるようになり、当時の事務所が松本の父親へ本人に確認するよう連絡し、
それを受けて父親は松本を産婦人科に連れて行ったところ「卵巣腫瘍の疑い」として入院することとなりました。
しかし、その結果が出る以前に事務所とレコード会社との間では「妊娠を前提とした善後策」が話し合われており、
これがマスコミに察知されたことで「松本ちえこ妊娠説」となってひとり歩きし、
父親探しのゴシップが出回る事態にまで発展します。
松本は翌1978年年明けに腹水を抜く手術を行い、退院後に会見を行ったが、年末年始を挟んだことが災いして情報の伝達が遅れ、
結果、アイドルとしての商品価値を失います。
そして、月刊プレイボーイ1979年12月号でヌードグラビアを発表し
「アイドルがヌードによって過去のイメージを脱却して新たなステージへと進む」という手法の第一号となりました。
さらに日活ロマンポルノに出演するなど女優業へ活動の場を移します。
1995年、自らのプロデュースにより、南フランスのプロヴァンス地方で撮影したヘアヌード写真集を出しました。
撮影の初日にはヌーディストビーチに行き日光浴で全身を小麦色にして撮影に臨みました。
私生活では1990年にロックバンドグループQUARTER BUDDY'Sのメンバー高澤一人と結婚、1999年に離婚、一女の高澤桃子を授かります。
2005年にデビューした娘の高澤桃子と度々歌謡番組やバラエティー番組で共演しました。
また親子で「恋人試験」をデュオしたこともありました。
晩年は女優として活動し、また2010年以降も雑誌の取材等に特集されることが多かった。
しかし、2019年11月17日朝に大動脈瘤破裂のため60歳という若さで死去したことが、同年12月6日配信の週刊女性PRIMEで明らかになりました。
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現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。

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初めて聴いてくださった方へ。
改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。
私のページに来て下さり、有難う御座います。

僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。
その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。
定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、
すぐに処置をして頂き助けて頂きました。
しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。
当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、
それはとても辛く悲しかったです。
もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは?
そんな思いを持ちました。
声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。
体だって自由に動く。
何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。

医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ
喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして
毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて
大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。
思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。
誰にも聞かれたく見られたくなかった。
だから車の中は僕のリハビリ室でした。

その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、
現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。
確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし
今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。
でも、大好きな歌が歌えます。
友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。
そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも!

そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。
とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。
その為、定期的に入院生活を強いられています。
明日はどうなるか解りません。

「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」
「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」
この二つは私の座右の銘です。

世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。
どうか諦めないで下さい。

私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。
ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。
私の歌はその方々には程遠いものです。
でも、歌えるようになりました。
良かったら聴いてみて下さい。
そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。

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