日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/9/8)

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2024年9月8日(日)

【旧約聖書】
優れた分別と知識を私に教えてください。私はあなたの戒めを信じています。詩119:66(協)

【新約聖書】
(テモテへのパウロの手紙)愚かで無知な議論を避けなさい。それが争いの元であることは、あなたも知っているとおりです。IIテモ2:23(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 作家いとうせいこうさんの『「国境なき医師団」を見に行く」という書籍があります。そこで、いとうさんは、中東やアフリカから逃れてきた難民の救援にあたる医師たちは、難民への敬意があると言います。難民たちが凄まじい苦難のなかを生き延びてきたのは、紛れもない事実です。だから、故郷を捨てて逃げてきたのです。その際に、家族を失ったり、言うに言われぬ経験をしてきたのです。医師たちには彼らの「傷の深さ」や「それを心にしまっていること」への深い敬意があるから、そこで行われる議論も勝ち負けとは無縁となります。そのことを、いとうさんは「議論は常に他者を尊敬しているからできることです」と言います。

 今朝は新約聖書テモテへの手紙II、2章23節の御言葉が与えられました。「愚かで無知な議論を避けなさい。それが争いの元であることは、あなたも知っているとおりです。」これはパウロがテモテに宛てた手紙ですが、「無知な」というのは、教育されていないことで、「議論」は異端者の教えとの議論ということです。つまり、キリスト教徒ではない者たちが、教会に対して何やかんや言ってきたと想像できます。そのようなキリスト教徒ではない者たちとの議論を「避けなさい」といいます。なぜなら、そのような者たちとの論争は、彼らに自説を宣伝する機会を与えるだけで、教会のなかに混乱を引き起こすだけだと言います。異端者たちとの議論を避けるというのは、消極的に聞こえますが、現実的には異端者たちを議論によって説得することは難しいことです。彼らに求めなければならないのは、考え方の部分的な修正ではなく、全体的な悔い改めですから、それは極めて困難なことは言うまでもありません。そして、そもそも、相手の考え方に一定の経緯を持つことのない者同士の議論が不毛であるのは、誰もが経験していることだと思います。ですから、教職者や教会員は、こういった無意味な論争にかかわるべきではないと言うのです。しかし、彼らに対して傍観者にならずに、忍耐強く正しい教えを示すべきことを、パウロはこの続きで言っています。キリスト者に必要なことは、愛と忍耐です。尊敬し、尊敬される関係が成立していないところでの議論は、避けなければなりません。不毛な議論を避け、教会員が疲弊することを避けるためです。だから、私たちは忍耐をして、キリスト者としての生活を淡々と行うしかありません。旧約の詩人は歌います。「優れた分別と知識を私に教えてください。私はあなたの戒めを信じています。」神さまの戒めに生きる。その私たちの姿が、キリスト教に関心のない人を改心の道に導き、敬意を持ち合う関係を築く一歩となるのです。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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