カトリック碑文谷教会、洲本教会訪問の様子 2024年

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3度目の上げなおしです。
何度もご覧になったかた申し訳ございません

追加修正を行いました
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2024年4月17日 東京都目黒区の碑文谷教会の皆さんと神父さまが
洲本教会を訪れてくださいました。

碑文谷教会のステンドグラスを模倣し
2015年に建て替えた聖堂に使わせていただきました。
プリントグラスとして使わせていただきました
それを来訪されてこられました


※碑文谷教会のホームページ
https://himonya-salesio.jp/about/

==碑文谷教会の特徴と主任司祭について=================
■教会について
サレジオ教会について
「江戸のサンタマリア」に捧げられた教会
東京・目黒区の碑文谷にそびえたつカトリック碑文谷教会(サレジオ教会)。
戦後まもなく、この地にカトリックの信仰の種が蒔かれ、内外の多くの方々の献身的な協力で、1954年に現聖堂が完成しました。
その年、東京国立博物館で一つの聖画が発見されました。キリスト教が迫害された江戸時代の最後のキリシタン・バテレン(宣教師)であるシドッティ神父(後に江戸キリシタン屋敷で殉教)がイタリアから携えてきた聖画、カルロ・ドルチ作の「親指の聖母」(悲しみの聖母)です。これにちなんで、カトリック碑文谷教会は「江戸のサンタマリア」に捧げられました。聖母画のレプリカが聖堂横・入口の小祭壇上に掲げられています。


カトリック碑文谷教会は通称「サレジオ教会」とも呼ばれています。カトリック東京大司教区からサレジオ修道会に委託された教会であるからです。
サレジオ会とはキリスト教・カトリックの男子修道会で、19世紀にイタリアの司祭、聖ヨハネ・ボスコ(1815-1888)によって創立されました。
聖ヨハネ・ボスコはドン・ボスコとも呼ばれ、産業革命の急激な進展とイタリア統一運動のさなかに殺伐としていたイタリア国内にあって助けを必要とする青少年の教育の必要性を痛感し、取り組みを始めました。やがて、ドン・ボスコのもとに教え子たちが集まって修道会が発足。サレジオ会はここ日本を含む全世界に活動の範囲を広げていきました。


カトリック碑文谷教会聖堂の建築はロマネスク様式で、荘厳で落ち着いた雰囲気をかもしだしています。
祭壇やその他を飾る鮮やかで豊かな装飾は、ジャコモ・フェラーリ修道士によるものです。堂内の美しい十字架、み心のイエス像、被昇天の聖母像、十字架の道行などの彫刻は、いずれも、イタリアの優れた伝統的宗教芸術から生まれた作品です。
祭壇左側の白い大理石像は「ピエタ」といい、イタリアの彫刻家、モンタユティ作です。右側の彫刻は「聖ヨハネ・ボスコ」で、パウロ・ファローニ神父作です。さらに、イタリア産の大理石の柱が何本も光沢をたたえています。後方左側には洗礼所があり、壁画は洗礼者ヨハネから洗礼を授けられるイエス・キリストを表しています。
聖堂は、平常時は400名程度の着席が可能であり、鐘楼の高さは36メートルにものぼります。




■ヨセフ 松尾 貢神父
Fr. Joseph MATSUO Mitsugi, SDB
主任司祭
碑文谷教会の特徴をいくつか挙げてみましょう。

① 青少年、若者が多いこと。広いグランド、駐車場、園庭があり、教会学校、中高生会、青年会のメンバーが多く、活発なこと。

② イタリア色が強いこと。教会内部はイタリアから贈られた大理石、モザイク、ステンドグラス、イタリア人修道士が描いた天井画などで飾られています。歴代の主任司祭もイタリア人が多く、ベルカント唱法を長く教えておられたイタリア人司祭・ダルフィオール師の教え子たちも多くおられます。

③ 困難にある方への関心。コロナ禍になって、力を入れているのはフードバンク目黒の活動への協力。またZOOMによるベトナム人研修生たちのための日本語教室の開催です。

 教会は高い天井、広い空間で3密をさけることができるので、平日も聖堂でお祈りすることが出来るよう長い時間開けています。どうぞ、見学やお祈りに気軽にいらしてください。


主任司祭 ヨセフ 松尾 貢

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