京都聖母学院吹奏楽部 木管7重奏重奏 「ラルゴ・マ・ノン・タント」(バッハ)20240614

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この作品は対位法を正確に導入した作品で、2つのヴァイオリンと合奏部による「音の織物を編み上げる」ような構成になっています。
1730年頃から翌年の1731年にかけて作曲されたものと伝えられる作品で、以前は第1番・第2番と同じくケーテン時代の1718年頃に作曲されたものとされていました。
またケーテン時代の作をライプツィヒのコレギウム・ムジクムのために書き直したものという説があります。しかし近年の研究では、この説の根拠は薄弱であることが挙げられ、
実際にはコレギウム・ムジクムで音楽監督を務めた1730年頃から翌年の1731年にかけて作曲されたものという見方が強くなっています。

バッハが愛妻家だったことは誰もが認めるところですが、最初の結婚は1707年で、相手は従妹のマリア・バルバラでした。
バッハ22歳、バルバラ23歳の頃です。ふたりの間には7人の子供ができたほど、仲睦まじかったようです。

バッハはドイツでも有名な、代々音楽家を輩出した家系ですが、バッハの息子も4人が高名な音楽家になっています。
そのうち、バルバラとの間に生まれたのはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)と、
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)です。
ケーテン時代、バッハが侯爵のお供で保養地に出張している間に、妻バルバラは急死してしまいました。
帰宅した日の10日前にはすでに埋葬されていました。

翌1721年、バッハに縁談があり、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと結婚しました。
バッハ36歳、アンナ20歳の頃です。アンナ・マグダレーナは、内助の功を上げた、良妻賢母とたたえられる女性です。
4人の子持ち男バッハとの再婚なのに、家事・子育てのみならず、音楽的才能を存分に活かして彼の活動の手伝いをしました。

バッハの作品の写譜もたくさん行ったのですが、筆跡もそっくりで、後世の研究者を悩ませました。
最初の妻、バルバラは年上の妻でもあり、対等な関係の夫婦だったのに対して、アンナとはかなり年が離れていました。
アンナは夫を深く尊敬していて、バッハは若いアンナの魅力に惚れ込んだと伝えられます。
この演奏はカット版です。

楽譜提供
https://animato.official.ec/

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