今回の訃報に接して/今後の予定など

Описание к видео 今回の訃報に接して/今後の予定など

今回の動画は文章がメインです。結構な長文になってしまったのでそんなの全部目を通すのは面倒だよという方は、この動画のバックで流れている亀川さんのベースラインに耳をそば立てつつ故人を偲んでいただけましたら幸いです。

まずは今後の予定について

亀川さんがこれまでに在籍したバンド/プロジェクトの音源を使ったまとめ動画を作る予定です。以前作成した、メンバー3人のソロを紹介する動画と似たような構成になると思います。


   • ゆらゆら帝国 私家版 Solo Works  

その後、現在中途になっているO.Y.A. のライヴ動画シリーズの残り(1本ないし2本)を上げた後、ゆらゆら帝国のライヴを一年単位で振り返るシリーズを作ることにしました(例:Live 1998、Live 1999、Live 2000〜といった具合)。主にメジャーデビュー以降からが本番になりますが、1990年から2009年まで20本近い規模になる予定です。今のペースだと恐らく5月以降ぐらいからになるでしょう。インディーズ期はもうネタを出し尽くしてしまっているので、1997年までのものに関しては動画自体もかなり短いものになると思います。

お知らせは以上です。

ここからは今回の事を受けての雑感、私感を綴っていこうと思います。ジョン・レノンがかつて実践していたプライマル・スクリーム療法といったら大袈裟ですが、そのような事をしてみたくなったのです。乱筆乱文になりますがどうか一つ。

私個人は亀川さんのパーソナルな人となりというものを知りません。あくまでもCDやライヴを通じてその演奏を堪能してきただけに過ぎません。なので、今回はゆらゆら帝国というバンドのフィルターを通した上での想いを書き連ねてみたいと思います。

まず初めに、これは真偽不明なことなので話半分に聞いていただきたいのですが、ゆらゆら帝国の初代リードギタリストだった橋口優さんが亡くなられたという話を何年か前に耳にしました。ソースは某大手掲示板サイトの書き込みのみで、それを受けてなのかウィキペディアのゆらゆら帝国のページにも一時期「故人」として記されていました。現在、ウィキのその部分の文言は削除されているので事実なのかどうかは今も判然としません。書き込みによると、亡くなられたのは2019年の初頭頃のようです。

橋口さんはyoutubeで「VampireSquidPriest」という名義で自身のチャンネルを持っていました。今でも「橋口優」でyoutube検索をかけるとヒットします。そこではゆらゆら帝国脱退後に録音したデモや、ゆらゆら参加前の1988年頃に所属していたバンドのライヴ音源、自身のギター演奏を披露した動画等を載せていらっしゃいました。最後の動画の更新は約6年前で、以降音信は途絶えたままです。亡くなられたとされる年が2019年前後という事で、そういう推測が成り立ってしまっている状況です。

Youtube上で久々に元気なお姿を拝見することが出来た事をとても嬉しく思っていたのですが、もしこの事が事実なのだとするならば、残念としかいいようがありません。

橋口さんの一件はあくまでも真偽不明の情報であり、どこかもやもやした心持ちだったのですが、今回の亀川さんの訃報でゆらゆら帝国というバンドの片翼が捥がれてしまった、再結成の可能性がかなり低くなってしまったなという思いがあります。

再結成などという言葉を安易に使うのは身勝手な一ファンの戯言と思われてしまうかもしれませんが、ゆらゆら帝国というバンドの音楽が2009年12月30日のリキッドルーム公演をもって、文字通り凍結され続けている現状に対する無念さを思うとついそういった事を考えてしまうのです。

私は坂本慎太郎さんがソロで展開されている音楽が大好きです。このページを訪れていただいた方々のトレードによるご協力、ご尽力により、数々の素晴らしいステージングを堪能させていただきました。しかし一つだけ気になっている事がありました。

坂本さんはご自身のライヴでゆらゆら帝国時代の楽曲はただの一度も披露していません。あのトリオ(坂本/亀川/柴田の3人体制)以外の面々でバンド時代の楽曲を演奏するつもりはないという強く固い意思を感じます。例えば、人気のあったバンドのフロントマンが、バンド解散後のソロ・ステージにおいて、気軽にかつての名曲を披露する場面をしばしば目にしたりしますが、そういう事は一切今日に至るまでありません。活動年数にして約20年の間に生み出された数々の名曲が今後も一切ステージで披露される事がないまま、日の目を再び見ることもなく眠り続けている現状というのは、やはり一抹の寂しさを覚えてしまいます。これは批判ではありません。私のエゴです。

私は密かに夢想していました。2009年の時点で完全に出来上がってしまったゆらゆら帝国の音楽の続きを。ソロ活動を思う存分に追求した果てにまだまだバンドでもやれる事があるんじゃないか、可能性があるのであれば2030年以降にでもひょっとしたらそういう事もあるんじゃないかと。でも、その際に必要不可欠だった1つの大きなピースが永遠に失われてしまったのです。しかも、デビューから解散までを共に見届けた唯一無二の存在をです。ドラマーのメンバーチェンジは幾度もありましたが、ベーシストはほぼ亀川さん一人です。

以前、どこかで読んだインタビューで、坂本さんが「ラメのパンタロンのメインリフは亀川君が作った。俺からはああいうリフは出てこない」というような発言をしていた事を思い出しました。クレジットにはない部分で作曲面における亀川さんの貢献というのもかなりあったんだろうなと思った出来事でした。

ふと、今回のことでゆらゆら帝国というバンドに出会った時の事を思い返しています。最初の出会いは1997年ごろ。かつてボアダムズに在籍していた山本精一さんが当時やっていたUMMOレーベルというところから出た「VOX VISSION」というコンピレーションを聴いた事がきっかけです。ボアダムズ周辺の一癖も二癖もある面々が居並ぶなか、坂本慎太郎という人が提供した楽曲が目を引きました。タイトルは「パイオニア」。自宅で録音したと思しき簡素な弾き語りで、ニヒリスティックな歌詞とダウナーな歌声が妙に印象に残る一曲でした。SuicideやPeter Ivers、Velvet Undergroundなどを好んで聞いているというのは後になってから知ったのですが、これらの先達が纏っていた空気感に共通するものを当時感じた事を思い出します。

それから一年後、音楽雑誌の記事で「今月一押しの新譜」みたいなコーナーにゆらゆら帝国の「3x3x3」が載せられていて、メジャーデビューしたのだと知りました。渋谷のタワーレコードをぶらついている時にそのアルバムを発見したので、試聴してみました。1曲目の「わかってほしい」の冒頭の爆音イントロを聴いた時にこれは絶対とんでもないアルバムに違いないと確信し、試聴を10秒程度で止め、レジに向かいました。入口を出た所で包装ヴィニールを急いで引き剥がし、帯を仕舞い、持ち歩いていたディスクマンにCDをセットし、プレイボタンを押しました。見慣れた渋谷の風景が心なしかファズで歪んでいるように感じました。世界が違って見えたような気がしました。そこから最後の「パーティーはやらない」までが体感数分のジェットコースターのように駆け抜けていき、今この瞬間、自分は特別なバンドと出会ったのだと理解しました。

次の「ミーのカー」が出た時は大学の友人たちにとにかく布教して回りました。迷惑なヤツでした。「ズックにロック」と「アーモンドのチョコレート」が特に好評で、「6,7,8,9で4人バーンって意味分かんねえよ」とか言いながら皆でゲラゲラ笑い合っていた場面を昨日のことのように思い出します。「めまい」と「しびれ」が出た時は知り合いの韓国人留学生に聞かせてみました。ギターの音がガサツでワイルドなところが実にいい。日本のバンドの音はキレイでかっちりとまとまっているイメージがあるが、このバンドはそこから逸脱している。私の国ではとても有名な「サヌリム」というバンドを彷彿とさせる音だ、と言われました。サヌリムは1977年デビューのガレージロックな音を出すバンドで、確かに共通点があるなと思いました。

深夜のお笑い番組に楽曲が使われるようになってからは加速度的に人気が増していき、大メジャーのソニーと契約したというニュースを聴いた時は本当に驚きました。かつては高円寺の20000VやMandalaを根城にしていた超の付くアングラバンドが、遂にここまで来たのかと感慨深かった事を思い出します。

バンドが解散した際は意外なほど冷静な自分がいました。「完全に出来上がってしまったら」という理由に心から賛同できたからです。そして、恐らく坂本さんはソロになって新曲と共にかつてのゆらゆら帝国時代の名曲も交えたステージをきっとしていくのだろうと当時の自分は思っていたのです。そして、それから約15年経った今の現状が先ほどの話題へと繋がっていくという訳です。

亀川さんはバンド解散後、灰野敬二率いる不失者に参加します。これも驚きでした。亀川さんが灰野さんの音楽を深く敬愛している事は知っていたので、これ以上ない場所を再び確保する事が出来た事を嬉しく思ったものでした。亀川さんが在籍した時代の不失者の、特にライヴブートレグを聞いていると、相棒は変わっても尚静かに奥まった場所から存在感抜群のベースを奏でていた事が分かります。

不失者を去った後、次第にニュースを聞く事が少なくなりました。再結成されたガセネタに参加したり、Galactic Abyssというプロジェクトでスプリットアルバムを出していた事は把握していましたが、それも単発的な活動だったのか、フルアルバムが出る事はありませんでした。その後の事はよく分かりません。闘病中だった事も知らず、近影を拝む事もできていなかったので。そんな中で今回の訃報に接し、思考停止しているのが正直なところです。

年を取ってくると当たり前の事ですが、色んなアーティストが鬼籍に入る瞬間を目にするようになります。私も毎年毎年自分の好きだったミュージシャンの訃報に接するたびに、享年を確認するたびに、つい最近まであんなにキラキラと輝いていたのにこの人はこんなに年老いていたのかと知って愕然とする事があります。

ですが、亀川さんの享年は54です。早い。あまりも早すぎる。

かつて2009年に忌野清志郎が死去した際、旧友だった泉谷しげるがコメントで「俺はアイツの冥福も祈らないし、葬儀にも行かない」というような事を記事で見た時、ファンだった私は行間を読まず上辺だけを見て、なんて自分勝手で冷たいヤツなんだと思ったのですが、今ならその気持ちが少し分かります。

曖昧にしたいんです。グレーにしたいんです。ぼかしたいんです。確定された事実を。死んでないとか、受け入れられないと頑なになるということではなく。ヤフーニュースの一報や、Xにおける坂本さんのシンプルながらも想いのこもったコメントを見てもなお、自分で自分にスッとぼけて見せる自分がいるのです。「え?そんな事ありましたっけ?」、と。

決定的な言葉を発してしまったら、それでもう終わりになってしまうような気がして。心の自衛なんですかね。情けないです。

「いまだに魔法がとけぬまま」な自分にとって、結局のところ私が最後に言いたい事は前回の動画に残したコメントと全く同じです。

「亀川さん、今まで素敵な演奏をたくさんたくさん残していただきありがとうございました」

daini

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