3分でわかる長谷川等伯(人から分かる3分美術史79.1)

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安土桃山時代の絵師であり、当代最高峰の水墨画家として知られる長谷川等伯を紹介します。

※本動画は「3分でわかる長谷川等伯(人から分かる3分美術史79)」[    • 【旧版】3分でわかる長谷川等伯(人から分かる3分美術史79)   ]の再撮影・再編集を行なったものです。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は長谷川等伯について勉強していきましょう。

長谷川等伯。1539年生まれ。安土桃山時代の絵師であり、当代最高峰の水墨画家として知られます。

等伯は、現在の石川県にあたる能登国七尾に生まれました。等伯の父は七尾城主畠山家の家臣であり、等伯は幼い頃に、染色業を営む長谷川宗清の養子となります。
宗清は雪舟の弟子であった等春の門人であり、等伯も彼らの影響を受けて育ちます。
等伯の初期の作品として知られるのが、高岡大法寺の「日蓮聖人像」。1564年、26歳の頃の作品です。
1571年、等伯33歳頃に養父母が死去。等伯はそれを機に京都へ移住します。
そこで等伯は、当時主流であった狩野派の狩野松栄に学び、また、中国宋代の画家である牧谿や玉澗に大きな影響を受けました。
1573年に室町幕府が滅亡。1582年には、本能寺の変で織田信長が死亡し、豊臣秀吉が日本のほとんどの支配権を握るようになります。
等伯は、秀吉に仕える茶人の千利休と交友を結び、利休を通じて大きな仕事を受けるようになっていきました。
これらの出来事もあり、間もなく等伯率いる長谷川派は、永徳ら狩野派の強力なライバルと目されるようになります。

等伯の作品を見ていきましょう。
「松林図屏風」。等伯の代表作であり、50歳頃の作品です。大和絵の伝統的なモチーフである松林を水墨画で描き、日本の水墨画における転機の一つとして評価されています。

等伯は、1610年に72歳で亡くなります。等伯のあとを継いだ長谷川派には彼に匹敵する才能は現れず、間もなく没落し、江戸中期は狩野派が再び覇権を握ったのでした。

以上!

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