新紙幣フィーバー 銀行には両替求める多くの人 福岡・佐賀にゆかりの人や場所も

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20年ぶりに発行された新しい1万円札。

これまでの1万円と比べると、数字が大きくなっているなど、違いが分かると思います。

新しい紙幣に両替しようと福岡市内の銀行には多くの人が訪れていました。

◆新紙幣の両替開始 窓口に多くの人

下濱美有記者「福岡銀行でも新紙幣の両替が始まりました。椅子に座りきれず、立っている方もいらっしゃいます」

福岡市中央区天神の福岡銀行本店営業部では、3日午後2時に新紙幣の両替が始まり、早速、多くの人が訪れていました。

両替した人「七万円」「お世話になったお友達に記念に渡せたら」

両替した人「イケメン系の野口さんから渋い系の北里さんになった」「教科書で見ていた人なので自分の時代でも(新紙幣の発行が)あるとおもったらすごいなと思います」

◆最先端の3Dホログラム・数字が大きく表記

新紙幣は1万円札が渋沢栄一、5000円札は津田梅子、1000円札は北里柴三郎が、描かれています。

偽造防止を強化するため最先端の3Dホログラムが施されているほか、海外の人でも使いやすいようにこれまでより数字が大きく表記されています。

福岡銀行・牛原星菜さん「銀行に届いて手元で見ることができて、ついにきたなというわくわく感だとかこれからこれを使っていくんだなというついにきたかという感じが大きい」

福岡銀行や西日本シティ銀行では4日から全ての店舗の窓口で両替を受けつけるということです。 

◆偉人にゆかりラーメン店のオーナーは・・・

この、新紙幣の肖像画になっている渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎。この3人の偉人にゆかりのある人や場所が、福岡や佐賀にもあります。つながりを取材しました。

JR鳥栖駅前に今年5月にオープンした「長浜らーめんとん平」です。

うま味のあるあっさり系の豚骨スープで人気のラーメン店に、新紙幣の肖像画にゆかりのある人がいました。この店のオーナーの男性が新紙幣に描かれた1人と親戚関係にあるというのです。

(Q似ているんですか?)
「かなり似ていると言われます」
(Q見た目がですか?)
「見た目です」
(Qどのあたりが似ていると言われますか?)
「顔です。全体じゃないですか。雰囲気」

1万円札の渋沢栄一?5千円札の津田梅子?それとも、千円札の北里柴三郎?

(Qお名前おうかがいしてもいいでしょうか?)
「北里駿太と申します」
(Q北里さん?)
「はい。千円札です」
(Q北里柴三郎との関係は?)
「僕のひいひいじいちゃんのいとこが北里柴三郎です」

北里駿太さん、35歳。
顔にメガネとひげの加工してみると・・・

似ています。

細菌学者、北里柴三郎。

近代日本医学の父とされ、伝染病の予防や細菌学の発展に大きく貢献した人物です。

◆その功績からだけでは性格は分かりませんが駿太さんによると・・・

長浜らーめんとん平TSUNAGU店・北里駿太代表「性格も似ているとよく言われる。仕事にめっちゃ厳しいとか普段はフワっとしている。『何を考えているかわからない』とよく言われます。(北里柴三郎が)そういう人だったと伝わってきているので」

ラーメン店のオーナーとして、接客をする駿太さん。

20年ぶりとなる新紙幣発行で北里柴三郎との関係は話の種になりそうですが、実はこれまで、隠してきたそうです。

長浜らーめんとん平TSUNAGU店・北里駿太代表「数人にしか言ってないです。小学校の勉強で(北里柴三郎が)出てくるじゃないですか、イジられるので、『教科書のやつやんとか』言われるので恥ずかしくて言ってこなかったです。35歳なので恥ずかしさはない」

ついに流通が始まった新紙幣遠い親戚が描かれた新千円札についてはー

長浜らーめんとん平TSUNAGU店・北里駿太代表「使い倒してほしいです。ピン札から使い倒してシワっとなったのを持ってきてもらったら、頑張っているなと思って、この千円札頑張ったんだなと思う」 

◆テレビでコメンテーターをしていた男性は・・・

つづいてはこちらの男性です。

(Qどういったご関係ですか?)
西郷隆直さん「津田梅子のひ孫にあたります」

5千円札の肖像画で、女性教育の先駆者とされる津田梅子。

西郷隆直さんは、津田梅子のひ孫で、西郷隆盛の孫の孫=玄孫でもあります。
世界各地の風景を撮影する写真家で、RKBのニュース番組「サンデーウォッチ」ではコメンテーターも務めていました。

写真家・西郷隆直さん「家族の中では梅子というひいばあさんの存在ですけど、とても強い意志を持って教鞭を執っていた『激しい情熱的な人』と伝え聞いています。今の時代、女性の活躍ということがこれだけ社会の中で広がってきたことを思うと、女性の活躍の歴史というものを大きく受け止めていきたいという気持ちで継承していかなきゃいけないと思う」 

◆渋沢栄一ゆかりの場所が北九州市に

残るは1万円・・・

渋沢栄一とゆかりのある場所が北九州市にあります。
北九州市戸畑区の九州工業大学には、1万円札の肖像・渋沢栄一直筆の書が展示されています。

1914年=大正3年に来校し、演説を行ったときに書かれたもので、「言に訥にして、行に敏ならんことを欲す」「口先は下手でも、行動は機敏でありたい」という論語からの一節が引用されています。

若松康志記者「新しい1万円札の顔になる渋沢栄一。近代日本経済の父とも言われていますが、北九州の発展にも深く関わっていたということです」

1890年代、若築建設の前身・若松築港会社は筑豊で採掘した石炭を運び出すための港を北九州市の洞海湾に整備する事業を行っていました。

しかし、世界的な不況で資金が不足し、経営危機に・・・そんな状況を救ったのが、「近代日本の経済の父」と呼ばれる渋沢栄一でした。

わかちく史料館・江副享子館長代理「洞海湾の事業に賛同していただきまして、渋沢氏が株主に加わりまして、相談役になっていただいた。東京での大株主のとりまとめや増資や融資の支援などを行っていただいておりました」

集まった資金で港湾整備事業は継続。

大型の船が入港できるように水深が浅い洞海湾を深くする計画が明治政府に認められ、官営製鉄所の誘致にもつながりました。

わかちく史料館・江副享子館長代理「インバウンドの方々にも新1万円札を目にしていただく機会があると思いますので、渋沢の功績を改めて認識されて、弊社の方でもそこで関わった1社として誇りをもっております」

渋沢史料館によりますと生涯で約500の企業の設立や育成に関わった渋沢栄一。

北九州では若松や門司の港湾事業のほか、現在のJR鹿児島線で初代門司駅を起点とする九州鉄道や門司瓦斯、門司セメントなど11の事業に関わり、北九州市の発展につながりました。

詳細は NEWS DIG でも!↓
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rk...

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