[ 若き天才仏師 ] 円成寺 Enjyouji Temple in Nara, Japan

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近鉄奈良駅からバスでおよそ30分。柳生街道沿いにある古刹、円成寺。
円成寺の近くにある一富久食堂(いっぷく)前のバス停[忍辱山]で下車。
バス道を少し戻ると円成寺の東門が見え、
さらに柳生街道(バス道)を戻って境内の南にある石段を下りてゆくと、
国指定名勝庭園の大きな池を一望。朝の光を反射した楼門が池の水面にゆらいでいました。

誤)奉  渡安元 → 正)奉渡 安元
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円 成 寺

...円成寺の創立は、案内書にはさまざまに詳しく書いてあるが、結局万寿三年(藤原末期1026 )命禅上人の開基で、
室町時代に虚瀧和尚の開創という伝説があるが、この寺が東密の一派忍辱山流の本山となったのは仁平三年(1153)であるという。
東密とは真言宗をいう。その根本道場である東寺(教王護国寺)の名に基づく。
天台宗の台密に対する呼び名で、空海の後、真雅、真然、源仁、と伝え、源仁門下から、
次第に拡がり、野沢根本十二流となり、東密三十六流の称もある。
...ついでに忍辱山(にんにくせん)のいわれは、仏教修行の六波羅密に、檀、戒、忍、進、禅、慧、の一つ、
いかなる恥辱も耐えしのぶという最も大事な修業が忍辱である。この名称をとったのだそうである。
...文正元年(室町時代1466)応仁の乱の兵火でことごとく焼失した。

大日如来像(像高三尺三寸) 真言密教の教主

宇宙の実相を仏格化した根本仏で、いっさいの諸仏、諸菩薩が出ている最高の理智体である。
その智徳の面を示したのが金剛界大日如来という。
金剛界大日は、金剛界九会のうち、理趣会、降三世会以外の中尊で、五仏の中央に位し、
菩薩形で五智宝冠をいただき、智拳印を結ぶ。すなわち智法身である。
胎蔵界大日は、中台八葉院の中央に位する 理法身で菩薩形で冠形に髪を結いあげ、法界定印を結ぶ。
天台宗では大日如来と釈迦如来とを、法身、応身の同体とし、東密では顕教の教主釈迦如来とは別体とする。
この大日如来は五智宝冠をいただき、智拳印を結んでいるので智法身であると私は思う。
木造漆箔、像高三尺三寸。旧多宝塔の本尊で、藤原末期安元二年(1176)に、有名な仏師運慶が二十歳のころの造顕である。
特に蓮台の裏から発見された墨書銘によってそれは明らかとなった。

...私は恵まれた運命と、技を兼ねそなえていた若き運慶作の大日如来座像の前に立つ。
座像は、私たちが立っている背丈よりも少し高いほどで、上手にていねいに安置されていて、 われわれがその回りを回りながら、
正面からも横からも見られるようにしつらえられてある。私はみつめる。金箔は剝落し、漆箔も顔の部分のところどころが剝落しているが、
そんな上っつらの古びた疲れは、およそ千年余の歳月を語るだけのものである。全身のみずみずしさがさわやかに迫ってくる。
この大日如来は肥っていない。半眼の瞼も、頰も、 贅肉のない青年の初々しさである。それは横顔に最もよく表現されている。
汚れを知らぬ青年のやさしい顔でありながら、気高さと自からなる威厳がある。腕、腰、組んだ両足…。
この肉体は男性の若く、最も美しいある時機の姿を写している。どの男にも、若く汚れを知らぬある時期、
しなやかでみずみずしい肉体でいる月日がある。美少年は美少女よりも凛々しく美しい。
しかし、その期間は実に短く、男性の長い一生の間で、パッと灯のともるような日々であり、その灯はすぐに消えるが、
男は若き日、自らの肉体でともした灯に向かって一生 ( いかに一生を生きるか ) ひた走るのだ、と私は思っている。
運慶はそんな時期の若者をモデルにしたのではあるまいか...。大日如来は智法身と、理法身とがある。
この大日は智拳印を結んでいる、だから智法身だ、と私は思う。私は仏教の「智慧」 を思ってみる。

智慧

現象の背後にある理法を知る心作用をいう。
大乗仏教の実践徳目である六波羅密の第六、 布施、持戒、忍辱、精進、禅定、の五波羅密を円満して初めて智慧が開きあらわれると考えられる。
分析判断力である識と関係が深いが、磐若の智慧のほうが全体を大きくつかむ。最も深い意味で理性と考えてよい。
この像からはいかめしさ、畏れ多さよりも、激しい情熱と、得体の知れぬかなしみが私を揺すぶる。
智拳印の右手は仏、左手は衆生であって、煩悩即菩提の妙理を示す、といわれているのである。
煩悩即菩提……。それは生ける者のあがき苦しむ上にある。すぐに近づけるようであって遙かに遠く、一瞬握ったと思うと、次の瞬間離れてゆく。
その切なさを……、あるいは、あるいは……。私は速くなった鼓動を嚙みしめるような思いで、
これは運慶が自分自身をモデルにしたのではないか、と思った。私のような人間はかえってそうあってほしいのである。
この肩の線のしなやかさ、張りつめた量感……。若き芸術家は、何を思い、何を願い、何を夢見て彫ったのであろう……。
この座像から受けるものは清冽という一語につきる。私は去りがたく、傍の人々の存在すら忘れて眺め続けた。

仏師、運慶

私は前にも仏師のことがよく知りたい、といった。
仏師という彫刻芸術家たちは、なまなかな僧よりも仏教に深く入りこんでいるにちがいないし、
日本の仏教は、すぐれた仏師たちの造る仏像によって拡がり栄えたといっても過言ではない。
...彼は保元の乱の時に生まれている。仏教でいう世は末法に入り、それを証明するように、世は戦乱 その他の不祥事が次々に起こるのだが、
権勢は藤原貴族から武家である平氏に移っている。安元元年には、清盛の娘徳子は(後の建礼門院)高倉天皇の女御となっている。
そんな時から、この大日如来は作られ、一年の日々をかけて安元二年(1176)にできあがっている。まだこのころは平清盛の威勢の強かったころだが、
やがて二十年に満たぬ、治承、 寿永年間にさしもの平氏も滅亡の時がくるのである。
そして安易、気ままであった藤原仏教は、民衆の中に変貌して、真剣な鎌倉新仏教へと移ってゆくのである。
このころ、空也、 法然、栄西、道元、日蓮、後に親鸞と真の名僧が相次いで出て、彼らは、貴族文化とともに腐敗した寺を出て民衆の中に入りこんでゆく。
貴族の浄土信仰とはちがった一般民衆の、わが身の罪深さにおののく罪の意識から出発した真剣な信仰と化してゆく時代である。
巷に出た名僧たちこそ、その時代の思想の担い手でもあった。
そんな時代を生きた運慶が、 若き日この大日如来像を造りあげたのは偶然なことではないと思う。
...仏を念じ、理想像を心魂こめて造りあげる 、そのとき、それは自らのものではなく、別格の遠く、かしこく、切ない憧れの対照 として宙に浮くであろう。
普通の彫刻家の作品は、あくまで自分のものであるが、仏師の造った作品は、すぐれればすぐれるほど、彼の手を離れてたちまち遠く高くなってゆく。
彼らは、眼には見えぬみ仏が、自分の手をもって造らしめたと思うであろう。私はそれを思うと息苦しい。
安元二年、この大日如来を造った二十歳の運慶は、それから三十六年後 の建仁三年(1203)源頼家が将軍の時代に、
奈良東大寺、南大門に金剛力士像を造っている ( 日本最大の木彫 ) 。
芸術的な才能を伸ばすためには幸な運命に在った運慶だが、あまりにも多くの世の変転を見てきたであろう。
金剛力士の忿怒相を、どんな意欲をこめて刻んだであろうか。彼の伝記はないが、出家の姿で残っている像があるのは納得できることである。
仏師たちは自分の造ったみ仏に、素直に真剣に掌を合わして拝むことができ ただろうか...。その心の襞の深さを知りたいと思った。
堂を出て、寒い円成寺の庭を歩む。が私の心の視野には一年間、あの大日如来を刻み続けた若者運慶の幻影が消えなかった。
そしてその顔はあの大日如来の面ざしと同じ顔であった。

文/ 梁 雅子 写真/ 入江泰吉  『 浄瑠璃寺 岩船寺 円成寺 』 淡交社刊
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― map ―

◆ 円成寺: https://www.google.com/maps/place/%E5...
◆ バス・近鉄奈良駅西口[のりば4]:  https://www.google.com/maps/@34.68438...

― website ―

◆ 円成寺ホームページ: http://www.enjyouji.jp/

◆ 奈良交通 運行系統図: https://navi.narakotsu.co.jp/pdf/gene...
◆ 奈良バスなびweb: https://navi.narakotsu.co.jp/timetable/

※ 近鉄奈良駅西口 [のりば4]からおよそ30分、柳生方面行き[ 忍辱山 ]で下車。¥750  ICカード利用可。
※ [のりば4]には山村町方面行きと柳生方面行きの2つの乗車口があり山村町方面行きには長蛇の列ができます。

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