1987年パリ‐ダカール・ラリー

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WRCからグループBが消滅した1987年、活躍の場を失ったプジョー205T16は、パリ・ダカールに活躍の舞台を移し、アリ・バタネンとシェッカー・メッタのドライブで初めてアフリカ大陸の壮大な冒険ラリーにチャレンジすることになりました。
 パリ・ダカ用の205T16は、大容量の燃料タンクを備え、直進安定性を増すためにホイールベースも30cm延長、さらにツイン・スプリング/ショックアブソーバーの採用やコースに合わせて360HPに抑えたパワーユニットなど、パリダカのために大幅な改造を施したエボリューションモデルとなり、WRC仕様の「205ターボT16」と区別するため「205ターボ16GR」(グラン・レイド)と呼ばれました。
 バタネンのプジョーはは序盤ミッショントラブルに見舞われながらもアフリカ大陸に上陸するやいなや怒涛の勢いでスパートを懸け、わずか1日で250台を追い抜き、さらに数日後はトップに躍り出て、そのままダカールにゴール、世界一過酷といわれるパリ・ダカール・ラリーにおいて、デビューウィンを飾るという快挙を成し遂げ、プジョーはその後「砂漠のライオン」の異名を取ることになりました。

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