【木崎原の戦い】島津義弘 vs. 伊東氏(九州の桶狭間)

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1572年、日向の真幸院・木崎原(現在の宮崎県えびの市)において、島津義弘と伊東氏の間で行われた「木崎原の戦い」について解説します。

薩摩を統一した「島津貴久」が他界すると嫡男の島津義久が後継者となります。
日向の「伊東義祐」は貴久の死を絶好の好機と捉え、弟の「伊東祐安」を総大将とする3,000の兵で真幸院へ侵攻を開始します。
後に「鬼島津」と呼ばれる、義久の弟の「島津義弘」が兵数は300程度で真幸院を守ります。
戦いの結果、島津軍が大軍の伊東軍を打ち破ったことから「九州の桶狭間」とも呼ばれています。

尚、戦いの経過や兵数については諸説あります。

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