両親の顔も知らない・・・中国残留孤児 言いたかった「ただいま」【戦後76年 つなぐ、つながる】

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戦後76年プロジェクト「つなぐ、つながる」。今回は、終戦後何十年にわたり中国に置き去りにされた「中国残留孤児」を取り上げます。「両親の顔も自分の名前も知らない」、彼らの孤独を追いました。

 東京・江戸川区の介護施設。お年寄りたちが楽しんでいるのは、中国式の麻雀です。

入所している女性
 「麻雀好きね、あはははは」

入所している女性
 「麻雀は認知症を防げるのよ。日本語でなんて言うの?」

 一見、中国人に見えるお年寄りたち。実はこの施設、日本への帰国を果たした「中国残留孤児」向けの介護施設なのです。鈴木節子さん、78歳。

中国残留孤児 鈴木節子さん
 「わたし、日本人、残留孤児。お父さん、中国(で死に)戦争の時に。お母さんは、いまは(この世に)いない」

 鈴木さんは1942年当時、中国東北部にあった日本の植民地「旧満州」に生まれました。終戦前後の混乱のなか、母親は当時1歳の節子さんを守るため、やむをえず、知り合いの中国人に預け、日本に帰国しました。

中国残留孤児 鈴木節子さん
 「(当時は食料もなく)小さかったので、病気にかかり、死にそうになって草むらの上に寝かされた」

 終戦から57年が経った2002年、鈴木さんは予防接種の痕などから日本人であることが確認され、帰国を果たしました。しかし、両親が誰なのか、自分の本当の名前が何なのか、今も確認できていません。

中国残留孤児 鈴木節子さん
 「(日本の両親のことを)本当に想っています。心から家族に会いたい」

 「はい、どうぞ。肉まんですね」

 中国残留孤児およそ2800人のうち、鈴木さんのように身元が明らかになっていない人は半数以上にのぼります。

 中国残留孤児三世の佐藤昇さん(31)。この日、祖母の体験を聞きに来ました。

祖母が中国残留孤児 佐藤昇さん
 「中国でいじめられたとき、養父母はどう接してくれた?」

中国残留孤児 佐藤美和子さん(77)
 「養父は自分が養父ではなく、血のつながった父親だと。他人が何と言おうとどうでもいい、と」

 中国残留孤児が高齢化するなか、祖母の体験を語り継ごうと本を出版しました。タイトルは「不確かな血」。日本と中国の狭間で葛藤する自身の姿を描いています。

祖母が中国残留孤児 佐藤昇さん
 「こういう背景がある自分も誇らしく思わなきゃいけないのかなと。大変な経験をしてきて今の祖母があるし、今の僕たちがいるので」

 歴史に翻弄され続けた残留孤児。76年間、どうしても言いたかったのは、「ただいま」の一言でした。

 「あのふるさとへ 帰ろかな 帰ろかな」

(Q.もし両親と会えたら?)

中国残留孤児 鈴木節子さん
 「『ただいま、やっと家に帰れて、本当に嬉しい』(と伝えたい)」
(16日10:54)

#きおくをつなごう  #戦後  #中国残留孤児

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