宇治(後編 )〜 『光る君へ』橋姫神社・平等院・浮島・恵信院

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橋姫神社 → 平等院 → 喜撰橋 →宇治十帖モニュメント →恵心院へと
源氏物語ゆかりの地を散策してきました😃
街並みは現代のものでしたが、宇治橋から見る川や山の風景は、紫式部や藤原道長が生きていた平安時代と変わらないとのこと・・・。
この風景を舞台に、源氏物語の最後の十帖が描かれたんだなぁ・・・と思うと、感無量でした✨✨✨

☆巨椋池(おぐらいけ)について=ウィキペディアより=
巨椋池(おぐらいけ)は、京都府の南部、現在の京都市伏見区・宇治市・久世郡久御山町にまたがる場所にかつて存在した池。規模からいえば池よりも「湖」と呼ぶ方がふさわしかったそうです。
形成されたのは縄文前期頃。
豊臣秀吉による伏見城築城期の築堤をはじめとする土木工事などにより時代によって姿を変え、最終的には1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて行われた干拓事業によって634haの農地に姿を変えました。

☆桜谷について
桜谷は、瀬田川の浸食により形成された渓谷・「佐久那谷(さくなだに)」が転訛したものらしい、とのこと。
滋賀県大津市大石中町にある桜谷社・佐久奈度神社は、もとは鹿跳の地にありましたが、昭和39年に、下流の天ヶ瀬ダムの完成により水没してしまい、移転したそうです。
瀬織津姫は、祓戸大神の一柱。ホツマツタヱでは、天照大神の正后です。
(個人的には、この瀬織津姫が、長い長い時間の中で、モチコ・ハヤコ(九頭竜・オロチ)・イワナガヒメの嫉妬によって汚されていくのが すごく残念です💧
加えて言うと、貴船神社に祀られているトヨタマヒメがないがしろにされているのも残念です💧)

☆鳳凰堂の八花鏡について
鳳凰堂の阿弥陀如来坐像の光背のてっぺんの裏側にあたる 天蓋の中央部に「八花鏡」がはめ込まれていると知った時、個人的にすごく感動しました。
左大臣で鏡の臣であったアメノコヤネの子孫・藤原氏・頼道が、異国の仏教を受け入れても譲れなかったものが、この鏡に象徴されているように思いました。
もしかしたら、この時代にはまだ、アメノコヤネから伝わる文書(口伝?)が、道長や頼道にも伝わっていたのかもしれません(これは、私の勝手な想像ですが・・・💦)
藤原氏は、臣として繁栄を極めましたが、決して自ら天皇になりかわろうとはしませんでした。そんなところにも、藤原家に伝わっていた言い伝えがあったのではないかと 私は勝手に想像しています😅


#橋姫神社 #平等院 #恵心院 #光る君へ #大河ドラマ

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