足尾銅山 旧三村廃村 松木村 仁田元村にたもと 久蔵村くぞう Ashio Copper Mine 令和2年 2020/03

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足尾銅山 足尾郷旧三村
3:22 松木村
10:09 久蔵村
13:29 仁田元村

二宮尊徳 日光神領仕法 江戸幕府末期(1853年)
幕府から命令が下り足尾郷を廻村した。(日光神領八九ヶ村の荒地開発の調査)

足尾郷14ヶ村の松木村、仁田元村、久蔵村を訪れた時の記録によると、

松木の地域の山々は木々がうっそうとして三川の清流には岩魚が泳ぐ静寂な山間の地であった。

松木村37戸178人、
仁田元村5戸20人、
久蔵村13戸56人、

農業、養蚕、炭焼き、薪取にて暮らしていたと記載がある。

その24年後の1877年に足尾銅山は古河市兵衛の経営になると
1881年(明治14年)に鷹の巣直利、
明治16年に備前楯直下の大直利が発見される。

急速に増大する産銅量に対応するため明治17年に直利橋製錬所が新設された。

当時の技術では排煙に含まれる亜硫酸ガス、有毒ガスを処理できず大気中に排出された。

この排煙及び森林伐採が周辺と上流部の旧三村の山林、農作物、河川に悪影響をもたらした。

足尾銅山に抵抗する旧松木村は明治33年に栃木県議会に煙害に対する人名救助請願を提出、
同年足尾銅山水樋取扱請求訴訟を宇都宮裁判所に提訴するが、敗訴となる

この頃には、仁田元村、久蔵村、松木村個々の買収が進められ、万事休す。

明治34年 残る25戸は補償金(四万円)を受け取り離村した。

明治35年松木村廃村。

参考・引用文献
日光市HP

音楽 DJ Lava - Calling angel

#足尾銅山#廃村#松木村

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