sal "FLESH" -slideshow-

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sal
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"FLESH"
「分かつことのできない他者としての肉(すなわち肉体)から眺める自己と他者の関係性と可能性」

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http://www.ilooli.net/flesh.html

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はじめに、いろんな表情を描きたくて、描き始めた。
まだ表情を描くことに慣れていないので、勉強のつもりで、とにかく表情を作り出す”顔面”に意識を向けた。
表情を作り出す骨格や筋肉や、表情の元になる感情や意識や、そういうもののいちばん本質的な部分はなにか、つまり、人の顔とはなにか、みたいなことを考えていた。
別のところでは、自分の肉体を”思うままにならない他者”として見るイメージについて考えていて、それと”人の顔とはなにか”が端的につながった。
人の顔は、人の感情や意識、つまり精神の面を表出するいちばんの場所。自己を規定するものがあるとすれば、それはたぶん精神の面にあるはずで、それを表出する顔は、肉体の中で最も自己に近しい場所だといえる。
自己に最も近いはずの顔も、思うままにならない他者である肉体には変わりない。自己と他者のせめぎ合い、葛藤が生まれる。顔は自己と他者の境界なのだ。
これは、今にして考えることであって、描いているときは、そこまで明快な論理はない。ただ、顔の奥にある骨と肉を、顔の前面にえぐり出したかったのである。顔の本質を見ようとして。
最も自己に近いはずだった顔面は、こうして単なる肉の塊と化して、自己の境界を浸食する。
自己を限りなく浸食した”肉”は、今度は、遙か遠くにそびえる壁となって出現する。自己の規定が曖昧になり、他者と自己の同定もむずかしくなり、まったく他者であったはずの別の人間やその他、外界のすべてのものが、自己でもあるという可能性が沸いてくる。
その結果、顔面の奥にあった骨と肉と、まったく同じ骨と肉が、遠くそびえる巨大な壁になって突如、出現するのである。
自己と他者の境界の不確かさ、わからなさ。
けれど同時に、”一にして全、全にして一”の可能性も感じる。
自分と他人の明快な区別は、実は不可能であると感じつつ、”肉”はしだいに”絶対的な他者”としてシンボル化されていく。
”絶対的な他者”とは、逃れられない宿命のようなもの。
自己を監禁する牢獄で、這い出る隙もないし、死ぬまで解放されることもない。
それでも精神は、脱獄を試みる。肉体の限界を超えようとするのである。
顔面の消失という方法で。
表情がなくなる、とか、自分がなくなる、ということではない。
顔面が消失するというのは、自己の規定を自ら放棄することで、その結果おこるのは、自己の消失ではなく、拡散である。”全”への拡散、または合流である。
消失ではなく滅却ということかもしれない。
僕は将来、人間は物理的に肉体から解放されるかもしれないと思っているけれど、今の段階では相変わらず肉体とは精神にとって、解放されえない限界だ。
その限界を精神がいかにして超越しうるか、ということを最終的には思考実験的にイメージしようとしていた。
描いているときはまったく言葉にならなかったけれど、今にして考えると、そう言える。
このように視点は順々に変化していったけれど、はじめの、いろんな表情の顔を描きたいという目標は、これを肥えに別の場面で成就されていくと思う。
sal.
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Dir. : sal
Edit : Label-skqif
2015.

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