陽人の法話:お大師様の入唐(にっとう)

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陽人の法話:お大師様の入唐(にっとう)

遣唐使として、日本を発つときには、名も知れぬ一人の留学僧であったお大師様は、二年間の唐での修行を経て、多くのものを得て帰国することになります。まさに、「虚しく往きて実ちて帰る」ことになるのです。

お大師様の入唐は、奇跡ともいうべき、仏様の力が働いていたとしか考えられないことの連続であったと言えます。

そもそもなぜ当時無名の私度僧(しどそう)であったお大師様が遣唐使団に加わることができたのか謎に包まれています。

お大師様が遣唐使の留学僧の一人として歴史上に名前が挙がる前の約十一年間、お大師様の足跡についての資料が一切ありません。

この時期に、吉野や大峰山(おおみねさん)、四国などで山岳修行を修していたことや、「大日経」という密教の経典に出会ったとも言われています。

そして、間違いなくこの時期に、中国語を習得していたはずです。このことが、お大師様が遣唐使に選ばれた大きな理由の一つでもあると思うのです。

お大師様は、四隻あった遣唐船の遣唐大使藤原氏の乗る第一船に乗ることになります。

お大師様は、藤原大使一行が本来の任務を果たして長安を離れ、日本への帰国の途につくまで、藤原大使と行動を共にしていたことがわかっていることから、通訳などの外交補佐を兼ねての留学許可であったのではないかという説があります。

お大師様は、大学に入る前に、叔父である阿刀大足(あとのおおたり)のもとで勉学に励みました。

阿刀大足は桓武天皇の第三皇子である伊予親王(いよしんのう)の家庭教師でもありました。お大師様が遣唐使として選ばれた当時、伊予親王は式部省(しきぶしょう)の長官の地位にあり、かつて同学のお大師様の留学の希望を適えうる立場にあったと言えます。

勿論、伊予親王の推挙は、私情によるものではなく、お大師様の広く深い才能を信頼してのことだったでしょう。

遣唐使団は出発して程なく嵐に遭います。

四隻の内、第三船と第四船は遭難し行方不明となり、ほぼ予定通り着いたのは、天台宗を開かれた最澄さんを乗せた第二船のみでした。

お大師様の乗った第一船は、漂流し、予定よりも南西に流され漂着しました。着いた場所は福州の辺鄙(へんぴ)な海岸。

正に九死に一生を得ての航海でしたが、漂着した福州でも大きな壁にぶつかります。

慣例としてこの時の遣唐使団が国書を持参していなかった為に、それまで日本の遣唐使に接したことがなかった福州の役人に、遣唐使団ということを信じてもらえず、入国を拒否されてしまうのです。

この困難な状況を救ったのもやはりお大師様でした。お大師様は、藤原大使に代わって、福州の長官の閻済美(えんさいび)にあてて外交文書を代筆します。

一説によると、この文書に感動した閻済美は、お大師様を自らの側近にしようと、敢えて長安への入京を許す名簿からお大師様の名前だけを除いたとさえ伝えられています。

この話からも、ただ中国語の語学を習得したのではなく、深い教養からたぐいまれな文才をお持ちだったことは想像に難くないと言えるでしょう。

夏に日本を発った藤原大使一行が、長安に到着したのは、その年も暮れに近い、十二月二十一日のことでした。

長安に辿り着いたお大師様は、藤原大使の外交補佐をしながらも、自らの研鑽の為に、精力的に長安の都を歩き廻り、仏教界の現状を把握すると同時に、著名な文人・墨客を訪ねたといいます。

藤原大使が遣唐使節としての役割を果たし、長安を去るまでのわずか二か月の間に、膨大な量の詩文集や書籍などを集め、中国の一般文化的な探索を行っています。

藤原大使を見送り、お大師様の本格的な留学僧としての生活が始まります。お釈迦様が説かれた仏教を真に理解するためには、お釈迦様が用いた言語である梵語の学習が必須であると考えたお大師様は、般若三蔵のもとで梵語・梵字を習います。

般若三蔵のもとで三か月暇なく学び続けた後、五月の頃、お大師様はいよいよ青龍寺の恵果阿闍梨のもとへ赴くことになります。

般若三蔵と恵果阿闍梨は旧知の間柄であり、お大師様の話は般若三蔵から恵果阿闍梨に伝わっていたと考えられます。

般若三蔵は恵果阿闍梨の体調を案じて、早く恵果阿闍梨にお会いして密教を授かるべきだと、お大師様を促してくださったのかもしれません。

お大師様は、初めてお会いした時の恵果阿闍梨の様子を次のように記述しています。

「和尚たちまちに見て笑みを含み、喜歓して告げて曰く、我れ先に汝が来たらんことを知り、相い待つこと久しかりつ。今日相い見(まみ)ゆ、大(はなは)だ好し、大だ好し。」

そして、すぐに支度をして、灌頂に入壇しなさいとおっしゃいました。

密教の法を授かるには、その弟子が修行をつみ、その資格を備えているかを厳しく判断すべきことが伝えられていますが、恵果阿闍梨は、お大師様を一目見ただけでその異才ぶりを感じとり、密教を伝えるべき人だと確信したのでしょう。

そして、この出会いからわずか半年間で、恵果阿闍梨はお大師様へ密教の教えを余すところなく伝授したのでした。

灌頂の儀式では、曼陀羅の前に目隠しをされた弟子が導き入れられ、花を投じ、その花が着いた仏様と結縁する投華得仏という儀式があります。

六月の胎蔵界、七月の金剛界ともに、お大師様の投じた花はともに大日如来(毘盧遮那如来)の身上に着いたといいます。

「毘盧遮那」とは「遍照」とも言います。恵果阿闍梨はこの出来事に歓喜し、大日如来を表す「遍照金剛」という名を与えたのです。

この灌頂名こそが、私たちが「南無大師遍照金剛」とお唱えしているお名前に他なりません。

お大師様は、密教の伝授を受けると同時に、恵果阿闍梨とその弟子たちの協力のもと、日本に持ち帰る為の膨大な量の経典を書写しています。

そして、曼陀羅や仏具などは、一流の職人によって製作されています。多くの人が関わった一大事業ともいえる書写や図絵などは、一留学僧の能力をはるかに超えています。

そうして伝えられた経典は全てそれまでの日本には存在しなかったものです。これは偶然ではなく、お大師様は入唐前に、日本にある経典全てを把握していたと考えられるのです。

お大師様にすべてを授けた恵果阿闍梨は、その年の十二月に遷化しました。

このことからも、お大師様が密教を授かることができたことは奇跡的だったと言えます。

亡くなる前に、恵果阿闍梨はお大師様に「早く郷国に帰って、もって国家に奉り、天下に流布して蒼生の福(さいわい)を増せ(早く日本に戻り、教えを広め、人々の幸せを増すように)」とおっしゃいました。

お大師様には二十年間の留学の勅命があります。この勅命を破ることは死罪にも値すると言われています。

しかし、お大師様は、恵果阿闍梨のお言葉によって、帰国を決意します。

その決意には、様々な要因があったと思いますが、お大師様が、自身が得た密教という教えが、必ずや人々の幸せに繋がることを確信していたからに他ならないと思います。

お大師様は「本国の使と共に帰らんことを請う啓」という文書の中で「十年の功、之を四運に兼ね、三密の印、之を一志に貫く」と書いています。

この意味は、十年間をかけて挙げるべき成果を、四運つまり四季が巡る一年間で挙げたということで、二十年間の留学の成果は、この二年間で果たしたということをおっしゃっているのです。

自信に満ち溢れていることが文書から伝わってきます。そして同じ文書の中で、密教の特質について、この教えによって、天的かつ人的なあらゆる災害が取り除かれ、あらゆる人に幸せがもたらされるものであると書いています。

密教が現実社会の人々の福祉を実現しうる教えだと伝えています。

それはそれまでの仏教とは違い、密教が、今生きている人、苦しんでいる人に対して、直接的に関わり、手をさしのべることができる教えということを示しているのだと思います。

そうして、お大師様は日本へ帰る遣唐使船に乗ることができ、帰国することができました。

実は、この遣唐使船以降、遣唐使はしばらく中断してしまい、再開されたのはその約三十年後だったのです。

それは、お大師様ご入定の三年後です。もし、お大師様が二十年の留学期間を守っていたら、日本に密教は伝わっていなかったかもしれません。

お大師様は、常に今の自分に何が必要で、何をなすべきかを冷静に判断し、勇気をもって実行することができる方でした。

自分が正しいと思ったことに対して、結果を畏れることなく一歩前に進まれました。

私たちは、過去への後悔や未来への不安で目の前のことが見えなくなってしまうことがしばしばあります。

今一瞬を生ききる。お大師様の一瞬一瞬を全力で生きるその姿に少しでも近づきたいものです。

辛い時、不安に苛まれた時には、私たちの幸せを現在も絶え間なく祈ってくださっているお大師様へ心をよせ、「南無大師遍照金剛」とお唱えし、やるべきことを実践して参りましょう。

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