高田みづえ 硝子坂

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16歳の新人少女歌手鮮烈のデビュー曲にして、昭和歌謡史に確かな足跡を残す不朽の名曲。「硝子坂」なくして「高田みづえ」なし。「硝子坂」がデビュー曲だったから、少女は「高田みづえ」になった……
このみづえナンバー中の最重要楽曲をリアルタイムで「知らなかった」ということは、自分の一みづえファンとしての最大のコンプレックスでありました。自分は「ビードロ恋細工」で初めて「高田みづえ」を知ったのですが、今一生懸命記憶を辿ってみても、本当にそれ以前の「高田みづえ」の記憶が全くありません。シングル「ビードロ恋細工」の後にアルバム『びいどろざいく』を買い、さらにその後にアルバム『オリジナル・ファースト』を買ったんですが、このアルバムに「硝子坂」と「だけど」は収録されていますから、「硝子坂」と「だけど」のシングル盤は実は買っていません。この2曲の売り上げ(チャート動向)に自分は全く貢献していません。「硝子坂」という楽曲を引っ提げて一人の天才少女歌手がデビューしたときに世間が抱いた衝撃というものを自分は経験していないんです。「芸能アイドル」というジャンル自体にそれほど関心のなかった時期でもあるのですが、「えりのすけ」様を始め、当時からの生粋のファンの方々の「硝子坂」への思い入れを伺うたびに心底「うらやましい」と思うと同時に、コンプレックスが高じて何故かすなおになれなくて、「高田みづえといえば硝子坂」という風調に反発さえ感じていたこともあります。
コンサートで、自分の好きな「ビードロ恋細工」などは全く歌われないのに、「硝子坂」は後期のコンサートでもほぼ大体歌われていた印象があります。そして「ファイナルコンサート」での「最後の最後」のアンコールもやはり「硝子坂」でした。「高田みづえ」の歌手人生は文字通り「硝子坂」で幕を開け、「硝子坂」で幕を閉じたのです。このことについて「高田みづえは結局『硝子坂』を超えることができなかった」との評を見たことがあります。「硝子坂」で芸能界という大海原に漕ぎ出していった少女は、数々の冒険を経て、最後にまた「硝子坂」という港にたどり着きました。このことは、高田みづえというシンガーにとって「硝子坂」という楽曲が大き過ぎたために、彼女はこの楽曲を「乗り越える」ことができなかったと見る向きもあるようです。果たしてそうなのでしょうか。
自分は以前、ラストシングル「チャイナ・ライツ」が高田みづえの「原点にして到達点」だったのではないかと考察したことがあるのですが、何のことはないデビュー曲の「硝子坂」こそ「原点にして到達点」という肩書が最もふさわしい楽曲だったのかも知れませんね。宇崎竜童氏の演歌ロック調のサウンド、「ガラス」というアイテムのキラキラした透明感と壊れやすいもろさ、思春期の少女の夢の中を描いたちょっとシュールな歌の世界、そして「高田みづえ」の伸びやかで美しく、繊細で迫力のあるボーカル。「硝子坂」こそ、高田みづえのデビュー曲にしてすでにみづえナンバーのエッセンスがすべて詰め込まれた「到達点」であったのに違いありません。だからそもそも「超える」も何もないのです。
「えりのすけ」様が以前、「硝子坂」のイントロの♪ジャーンという導入を聴いただけで涙が出てくるというようなことをおっしゃっていました。自分も今回スライドショーを作るにあたって、「硝子坂」を改めて何度も聴いてみたのですが、「えりのすけ」様のおっしゃる「イントロの♪ジャーンを聴いただけで涙ぐむ」という体験をちょっぴり味わうことができました。これで自分も、みづえファンの末席に加えていただける資格が出来たんじゃないかなと、勝手ながら思っています(;^ω^)

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