親の通訳は当たり前だった…聴覚障害がある人の子”コーダ”が再考する健常者への橋渡し【手話が語る福祉】 (24/09/06

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手話が語る福祉のコーナーです。「コーダ」という言葉を知っていますか。聴覚障害がある親の元で育つ聞こえる子供たちのことを言います。幼少期からの独自の経験を取材しました。

「(手話で)これはチーズが入っている?」
「(手話で)聞いてみよう」

「このパンにチーズは入っていますか」
(店員)「入っていないです」
「(手話で)入っていないって」
(店員)「1296円です」

岡山市に住む新免昇さん(42)。両親がろう者の家庭で育った「コーダ」です。両親に音の情報を伝える役割を幼い頃から担っていました。

(新免昇さん)
「(体調不良で)自分で学校に電話をして「きょう休みます」と連絡すると「ずる休みじゃないか」と言われることもあった」

(新免さんの母 みず枝さん)
「困った時、電話や緊急時に通訳してもらえる」
(新免さんの父 彰俊さん)
「来客も知らせてもらえるので助かる」

(新免昇さん)
「よく人から「大変だね」とか「苦労してるよね」と言われるが、僕からしたら当たり前だった。逆にそう言われると(他の子と)違うのかなと、子供ながらに思ったことがある」

『CODA』・・・「Children Of Deaf Adults」の略で、耳が聞こえない、または聞こえにくい親がいる子供たちのことを表します。日本に少なくとも2万2000人いるとされています。

新免さんが中学1年の時に書いた作文にはこんな思いが・・

『ぼくの父と母は普通の家族とは違う所があります。それは障害を持っているということです。障害のある人もない人もお互いに助け合い尊敬しあえる世界にしたいです。僕はその”橋渡し”の役ができたらなあと思っています』

コーダについて広く知ってもらおうと9月、岡山市で講演会が開かれました。

(東京大学多様性包摂共創センター特任研究員 安東明珠花さん)
「親がろう者か難聴者か、片方の親だけ聞こえないのか、家族の中で自分だけが聞こえるのかなど、同じ「コーダ」でも背景は様々でそれぞれ経験が違う」

岡山市出身で自身も「コーダ」の安東さん(33)、大学時代に「コーダ」という言葉に出会い卒業後も研究を続けています。

(東京大学多様性包摂共創センター特任研究員 安東明珠花さん)
「手話を使うろう者の子供の「コーダ」は手話が使えるだろうという考えのもとで「コーダ」という言葉が広がった。実際に手話が得意な「コーダ」もいるし、そうでない人もいる。私も小さい頃は手話っぽいもので話していた記憶はあるが、大人になって勉強し直した」

講演を聞くこちらの女性も「コーダ」です。玉野市に住む岡部育恵さん。両親の理容室を継いでいる岡部さん、幼い頃からよく店で手伝いをしていました。

(岡部育恵さん)
「通じない時に通訳をしていた。客が帰る時には代わりに「ありがとうございました」と挨拶していた」

子供の頃から手話を使っていた岡部さんにとって親の通訳をするのは当たり前のことでした。

(岡部育恵さん)
「電話して、と頼まれた時には大人相手になにか言わなきゃと思っていた。あまり電話をかけるのは好きではなかった」

(東京大学多様性包摂共創センター 中津真美特任助教)
「通訳することが「コーダ」にとって負担になることもあるし、「コーダ」でない子供にはない心の揺れなど、時に生きづらさにつながることがある」

13歳以上の「コーダ」約100人に行った調査では、「小さい頃から親を守る気持ちがあった」と答えた人が約70%、「周囲に親を馬鹿にするようなことはさせないと思ってきた」が約60%という結果も出ています。

(東京大学多様性包摂共創センター 中津真美特任助教)
「(ろう者とは)筆談でもいいし口を大きく開けて会話してみる。子供に頼るのではなく直接会話することを諦めないでほしい」

地域の人が集まる手話サークル。「コーダ」の新免さんが姿を見せました。子供の頃、親と訪れていたサークルに2023年から再び通い始めました。

(新免昇さん)
「父が病気をした時に医師と父のことを手話で説明できなかったことが大きなきっかけ。手話を学び直そうと思い、手話学校にも通っている」

両親とは主に身振りや口話でコミュニケーションをとっていたため、これまで手話を学んでいませんでした。

(新免昇さん)
「小さい時から手話を習っていればよかったが、聴者としての生活がメインになっていた。時間を取り戻すではないが、しっかり勉強して聴者とろう者の架け橋になれたらという気持ち」

手話を使うことでろう者のことをより深く知り、聞こえる人との相互理解につなげる。「コーダ」に生まれたからこそできることがあると新免さんは感じています。

(新免昇さん)
「せっかく手話を改めて学び始めたので中学生の時書いた”橋渡し”という意味では、手話通訳者や通訳士になって子供の時に思っていたことが実現できれば一番いい。厳しい道だと思うが一生懸命頑張りたい」

多様な家族のかたちへの理解や配慮が必要です。

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