癒えぬ心 それでも前へ 東日本大震災10年

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東日本大震災から10年。死者・行方不明者は、震災関連死を含め2万2000人あまり。原発事故などで避難生活を強いられている人は、今もなお4万人あまりいます。岩手・宮城・福島の被災地は、追悼の祈りに包まれました。

 亡くなった家族や友人たちに届きますように・・・。岩手県大槌町では、11日夜、700発の花火が打ち上げられました。

 あの日から10年・・・。巨大地震、そして、大津波によって、甚大な被害が出た東北の各地は、鎮魂の祈りに包まれました。

 「一生忘れない経験したので。忘れちゃいけない経験なんでね、これからも忘れないために、次からも必ず来ようと思ってますので」(叔父夫婦が行方不明の男性)

Q.(石碑の)お父様の名前見てどうですか
 「言葉が出ませんね。いつも天国から見守っててくれると思うので、いつもありがとう」(父親を亡くした男性)

 「ここにくると、無念で逝った兄のことを思うと、気持ちの整理は本当についてないです」(兄を亡くした女性)

 「学校の授業で(津波について)知ったのですが、すごく怖くて。勉強しているときも、すごく嫌でしたが、ここに生まれたのだから知らなきゃと思いました 」(震災当時1歳)

 2011年3月11日、午後2時46分。三陸沖を震源とする国内観測最大規模のマグニチュード9.0の地震が発生。最大震度7が観測されました。

 地震による巨大津波は、凄まじい勢いで沿岸部に襲いかかり、街をことごとく破壊。福島第一原発は、津波の直撃を受けた影響で、原子炉を冷やすための全電源が喪失し、建屋の水素爆発が発生。大量の放射性物質が放出されました。

 福島第一原発からほど近い福島県浪江町。今も、町の面積のおよそ8割が帰還困難区域です。海岸では、警察官などによって、行方不明者の捜索が行われました。

 そして、地震が発生したのと同じ午後2時46分。東日本大震災による死者は、震災関連死を含め、1万9747人。いまだに、2556人が行方不明のままです。

 発災から10年の節目を迎えたことから、今の形では、今年で最後となる政府主催の追悼式典。

 「復興の歩みが着実に実を結んでいくよう、これからも私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います」

 菅総理は、式辞の中で・・・。

 「住まいの再建、復興まちづくりがおおむね完了するなど、復興の総仕上げの段階に入っています」

 三陸沿岸部の被災地では、まだ空き地も目立つほか、人口減少も大きな課題となっています。

 埼玉県上尾市では、離ればなれの避難先をオンラインでつなぎ、追悼式が行われました。

 「とにかく原発、どうにもならない。それさえなければ、1年もたたないで帰ったろうと思うけど」(福島・富岡町から避難 渡辺哲雄さん)

 一時、全町避難となった福島県富岡町から避難している渡辺哲雄さん(72)。自宅のまわりは、思うように除染が進まず、町の生活環境も整わないことから、帰還を諦め、すでに自宅も取り壊しました。

 「なかなか年配の人は帰るのが、難しいんじゃないか。小さいころから見ている風景と、全然違いますものね」

 復興庁のまとめでは、今も避難を余儀なくされている人は、4万1241人。大半が福島県の住民で、およそ3万6000人にのぼります。

 力強く地上から伸び、花を咲かせたイメージのスカイツリー。夜空を彩る鎮魂と、明日への希望を込めた花火。それぞれの胸に、10年間の思いが重なります。(11日23:20)

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