【合戦解説】第一次月山富田城の戦い[前編]-赤穴城の戦い- 大内 vs 尼子 〜 尼子軍の毛利攻略失敗に続き安芸武田氏滅亡を受け尼子派国衆に動揺が走る 〜 <毛利⑬>

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<毛利シリーズ⑬話>

時は戦国時代 中期

天文6年(1537)に入り 齢80をむかえた出雲守護 尼子経久は、嫡孫 尼子詮久に家督を譲ることを決めた。
尼子の頭となった詮久は 持ち味の統率力をすぐにも発揮。
一門衆の新宮党を率い東は美作 備中 備前に播磨、西は石見銀山奪取と 次々に領土を拡大していった。

一方 九州の豊前や豊後で大友と争っていた大内義隆は 将軍 足利義晴の仲介を受け、大友と和睦し 矛先を武田や尼子に切り替え 隊を東に向かわせた。
大内の参謀 陶興房の死により軍を率いることとなった 嫡男 陶隆房は 卓越した軍略をもって石見銀山を奪還。
安芸武田家当主 武田光和の死に付け込み 武田家を滅亡させるべきと 主 大内義隆に建言し、義隆はそれを認め 周防 長門 筑前の大内軍が安芸国に向け動き出した。
その報せを受けた尼子詮久は 尼子派の武田を守るため、若狭武田家から武田信実を光和の養嗣子として送り安芸武田家を相続させるとともに、詮久自ら安芸国に向かうことを決め 播磨制圧を中断し出雲に撤退。
再編制した3万もの大軍を引き連れ 安芸に侵攻。

しかし 大軍勢故の弱点を毛利元就に突かれ、尼子軍は総崩れを起こし 詮久は出雲に撤退してしまった。
望みを失った武田信実は逃亡してしまい、急遽当主に就いた武田信重が 家臣らを必死に鼓舞するも、孤立無援を承知で銀山城に入る兵は僅かであった。

天文10年(1541)5月
毛利元就の巧みな誘導策により 佐東銀山城はあっさり落城。
武田信重と その父 伴 繁清は討死となり 安芸武田家は滅亡となった。
毛利や天野 平賀 吉川らによる武田の残党狩りがおおかた終わった6月、大内の軍監 陶隆房が銀山城に入った…


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※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
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※2024年時点での歴史資料を元に作成しております
※イラスト提供:史環 殿

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