【合戦解説】第一次 国府台合戦 〜相模台合戦〜 北条 vs 小弓公方・真里谷・里見 〜 今川家との同盟破棄により ほぼ全域を敵対大名に囲まれてしまった北条氏綱であったが… 〜

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時は 戦国時代中期

天文5年(1536)3月
北条の同盟先 今川家の内乱『花倉の乱』が突如発生した。北条家当主 氏綱は この事態を一刻も早く終息させる必要があると判断し、今川家 嫡流の今川義元を支援するべく 嫡男 氏康を総大将とする主力8000を派兵した。
北条の活躍もあり、僅か3ヶ月で 兄 良真を討った義元は 晴れて今川家11代目当主に就き、敵対した豪族衆の鎮圧に乗り出した。
しかし甲斐武田家との密約であった 武田信虎の娘の今川家輿入れが同時に進んでしまい、結果 今川と北条にとって 共通の敵であるはずの 武田との縁組を 北条氏綱への断りなく義元は結んでしまった。
これに激怒した氏綱は、天文6年(1537)2月
自らを大将とする1万の軍勢で駿河に侵攻。あっという間に駿東郡を制圧すると、富士郡 吉野まで侵攻。
事の重大さに気づいた今川の参謀 太原雪斎は、即座に駿河の主力を引き連れ 潤井川手前で対陣するも、北条の軍師 北条幻庵の謀にはまり 壊滅。
この勢いのまま駿府まで侵攻したい氏綱であったが、武蔵の扇谷上杉や、下総の小弓公方を放置できない状況でもあり、武田晴信の媒により提示された『富士川より東の富士郡、駿東郡を北条領とする』との停戦条件を受け入れ『第一次 河東一乱』と呼ばれる 北条の駿河侵攻は、一旦 収束となった。
勝利を得た北条氏綱であったが、これで 西は今川、北は武田に両上杉、そして東は小弓公方と、ほぼ全域を敵対大名に囲まれる状況となってしまい、一箇所に兵を集結できない状況に氏綱は悩んでいた。
その氏綱が小田原城に戻っている頃、武蔵国 河越城では 扇谷上杉家 当主 朝興が 戦国の世を去ろうとしていた…


[武将写真提供者]
なつめ堂様より 古河公方 足利晴氏役の写真を特別にお借りいたしました。
ありがとうございます。
■モデル…天心流兵法 まーこ様
(twitter@harima_mekkai )
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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※番組内に登場する忍キャラは、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2022年時点での歴史資料を元に作成しております

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