【好かず、嫌わず】(高田明和・あきかず)

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1. 関精拙(せきせいせつ)老師は豪放、大胆な禅僧で、多くの弟子を作りましたが、 「自分は腹を割って付き合うことはしない。問題が起こると気まずくなるから」といっていました。 有名な山岡鉄舟も多くの弟子を育てましたが、どのような人間に対しても「好かず、嫌わず」を守ったといいます。 私たちは、 「あいつはあんなに世話をしたのに裏切った」 などと憎むことがあります。 しかしそれは相手に何かを求めて付き合っているからで、六割主義なら裏切るの裏切らないの、ということはないのです。 
2.これで別に人間関係がさびしくなることはありません。 本来欠点だらけの人間がお互いに付き合い、それが長続きするには、六割信ずるという態度が必要だと思われるのです。 とくに相手を信じきるような場合には、こちらに打算のあることも多いのです。 そうすることで何か利益を得たいという場合もあります。 最近、知り合いの人の失態にもこれを感じました。 六割にすれば失敗はないのです。 十割にすると、逆の結果になってしまうことがままあります。 
3.相手のいうことを六割信じるということは、相手の真意を疑う場合だけではありません。 相手が本当に一生懸命の場合にも成り立ちます。 なぜなら相手の真摯な態度はよいのですが、その判断に間違いがある場合もあるからです。 
◆「君子の交わりは淡きこと水のごとし」とは、荘子の言葉。 その後に続く言葉が、「小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し」 あまり人のことには深入りせず、水のようにあっさりと付き合うことが、良い人間関係を長く続かせるコツ。 「醴」とは甘酒のように甘くてベタベタしていることを言う。 つまらない人間の交友関係は、ベタベタしていて、一時は深い交際のように見えても、それは長続きしない。 
◆長く続く交わりには、余韻がある。 淡い交わりを「淡交」という。 茶道の「裏千家」には淡交会という会がある。 淡々として、何事にも執着せず、感情に流されず、平常心の交わりを意味しているという。 まさに、茶禅一味の精神だ。 「好かず、嫌わず」 長く続く交わり、「淡交」をめざしたい。

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