【全126名】初代から3000年続く天皇をエピソードととも完全解説。鬼畜天皇のぶっ飛びエピソードは必見…【北見/マンガ/アニメ】

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#漫画動画 #法律

初代
神武天皇
神武天皇は日本神話で語られている伝説上の天皇だ
九州の高千穂から 日本全体をまとめるために本州の大和へ向かい
初めて天皇に即位し 日本を作ったらしい
「日本書紀」や「古事記」にも登場し
「天照大神 」の息子である「邇邇芸命」の孫といわれている  
2月11日は 日本の建国記念日だが
これは神武天皇が即位したとされている日なのだ
他にも第2代の天皇から第9代天皇までは歴史的には実在を確認できず
欠史八代と呼ぶらしい…
第2代
綏靖天皇 
綏靖には腹違いの兄の手研耳命と同母兄の神八井耳命がいた
だが神武天皇が亡くなると 研耳命は自分たちの命を狙ったそうだ
これを察知した綏靖は 手研耳命を射殺
この時神八井耳命も射殺を試みたが
恐怖のあまり手が震えてうまく撃てなかったらしい…
この出来事から神八井耳命は自らを恥じ
綏靖の父に位を譲ることにしたという  
こうして 綏靖は天皇に即位することになったらしい
ちなみに彼には食人の趣味があったという噂もあるぞ
第3代
安寧天皇
安寧天皇は実績などが不明とされている天皇の一人だ
『日本書紀』によると母は事代主神の娘といった話もあるようだが…
磯城県主の娘の川派媛が母であるという説もあり
正直良く分かっていないみたいだ
『古事記』では師木県主河俣毘売が母とも書いているし…謎なのだ
安寧…という名前は生まれた時に朝日が輝いたことから
名付けられたという説がある
欠史八代の一人で 実在性したか否かについては諸説あるようだ
第4代
懿徳天皇
懿徳天皇は安寧天皇の第二皇子にあたる人物だ
安寧天皇が死去した翌年の2月に即位し
『日本書紀』には現在の奈良県橿原市大軽町付近に軽曲峡宮という宮殿を
作ったという話が残っているようだ
現在は奈良盆地南部にある懿徳天皇陵で祀られている
中世の『古今和歌集序聞書三流抄』には 出雲に出向いた際
素戔嗚尊に出会ったという逸話が残されておりらしい  
人物自体が極めて創作性が強いとされており 実在では不明となっている
第5代
孝昭天皇
懿徳天皇の皇子であり 83年もの間在位して 
114歳で亡くなったという 信じがたい伝説が残っている天皇だ
『日本書紀』では、現在の奈良県御所市に掖上池心宮に都をかまえたとあるが
古事記では違うことが書いており
葛城の掖上宮と書いてあったりはっきりとしない
一応奈良には「掖上池心宮阯」碑が建てられているそうだ
ちなみに遣隋使しをつとめた小野妹子は
孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命の子孫といわれているらしい
第6代
孝安天皇
欠史八代のひとりで
在位102年という 歴代天皇で最長の記録をもつ天皇なのだ
しかし 当時の人の寿命などがから考えると やはり孝安天皇も
実在性は低い可能性があるといわざるを得ない
母は皇后で尾張連祖の瀛津世襲の妹の世襲足媛尊で
同母兄に和珥臣祖の天足彦国押人命がいるぞ
『日本書紀』によると なんと137歳で亡くなったとされており
ますます謎の多い天皇のひとりだ…
第7代
孝霊天皇
欠史八代のひとりで 在位102年という
歴代天皇で最長の記録をもつ天皇だ…
だが『日本書紀』によると137歳で亡くなったとされていているため
実在性に疑問の声も多くある天皇の一人だった  
また鳥取県伯耆町溝口には孝霊天皇にまつわる
日本最古の鬼退治の伝説があるといわれている
当時近くの鬼住山に鬼が棲みつき 暴れまわっていたという
それをこの地を訪れた孝霊天皇率いる陣が追い払ったそうだ
第8代
孝元天皇
欠史八代のひとりで 奈良県橿原市大軽町付近の境原宮に都を移した人物だ
『帝王編年記』によると 畝傍の西南方向にあったとされているが
定かではないようだのう…
孝元天皇には3人の子どもがおり それ  れ大彦命・少彦男心命・
開花天皇がいた  
中でも大彦命はのちに崇神天皇の四道将軍の一人となり
その子孫は有力豪族となっていったといわれている
皇居では 宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに
孝元天皇の霊が祀られているようだ
第9代
開花天皇
欠史八代の中でも最期のひとりと言われている人物だ
16歳で皇太子となり孝元天皇が死去した同じ年の11月に即位 
翌年 春日の率川宮に都を移したといわれている
実在性については諸説あるようだが 古代学者の宝賀寿男氏が
開化天皇が他豪族との系譜関係から崇神天皇の兄弟または従兄弟とすれば
開化天皇が実在した可能性が高くなると主張したこともあった
現在は宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・
皇族とともに開化天皇の霊が祀られている  
第10代
崇神天皇
学術上 実在の可能性が高い初めての天皇といわれている
崇神天皇は 奈良県桜井市の三輪山麗を中心に領土を拡大し
大和政権の基盤を作ったと考えられている  
当時の日本では疫病が流行っていたといわれているが そんな時
崇神天皇が大物主神を祀ったことで治ったという
さらに即位10年目には四道将軍を全国に派遣して教化すると宣言
崇神天皇に従わないものを討伐していくなどして力を強めていった  
また税制も作って 外国と貿易するなどしていた  と
第11代
垂仁天皇
崇神天皇の第3子で 母は皇后の御間城姫命だ
彼には兄がいたののの 24歳で皇太子に立てられることになった
即位5年目に皇后の兄の狭穂彦王が叛乱を起こし
皇后もこれに従って兄と共に焼死しするという悲劇が起こってしまった…
即位25年目には 五大夫を集めて祭祀の振興を誓い 
勢神宮や武器奉納・相撲・埴輪・鳥飼といった様々な
文化の発祥に関わったとされている  
即位99年に140歳で死去したが 『古事記』では153歳となっている
第12代
景行天皇
『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇といい
日本武尊の父といった話もあるようだ…
熊襲と蝦夷を討伐して 辺境にまで勢力を拡大しましたという話も残っている
『古事記』では景行天皇は137歳まで生きたという話も残っているが
存在が不明な天皇のひとりでもある  
そのせいか景行天皇の子である日本武尊も多くの学者から
存在を否定されている有様だ…景行天皇と日本武尊の伝承は 
ヤマト政権ができあがる過程が伝説化されたものだという学者もいるようだ
第13代
成務天皇
成務天皇は 景行天皇の第四子であり 日本武尊の異母弟だといわれている  
資料では 在位60年で 107歳で没したと書かれているものの
信ぴょう性は低いようだ…
もし実在していたのなら 4世紀中ごろの人物に当たるらしい
景行天皇の時代から ヤマト政権は国内の統一事業が飛躍的に
進むこととなった
だが広い領土を天皇一人では納めることができなかったため
国政をするための大臣を初めて作り 武内宿禰という人物を任命したという
第14代
仲哀天皇
日本武尊の第二子として生まれ 神功皇后の夫として有名な人物だ
『日本書紀』では 148年に生まれたということになっているが
日本武尊がその36年前に死んでいるためつじつまが合わず
実在に疑いの声も上がっているみたいだ…
そして仲哀天皇の后であった神功皇后は、気長宿禰王の娘…
つまり卑弥呼ではないか?という説が有力らしい
海の神からの「熊曾の背後にいる朝鮮を倒せ」というお告げがあったが
それに従わなかったため早死にしたという噂がある
第15代
應神天皇
應神天皇は 仲哀天皇の第四皇子であり母は神功皇后とされている
実在したか?については疑問も多いほうだが 学者の間では
「実在した」という考えが浸透しているようだ
應神天皇は、新羅・百済との交流も盛んに行い
渡来系の氏族を積極的に受け入れ土木や養蚕
機織りといった技術がを日本に取り入れ 新たな文化とした
『古事記』には 百済王よりつがいの良馬2頭の献上があったと記載があり
現在の日本の馬の元祖ともいわれている
第16代
仁徳天皇 
仁徳天皇は 應神天皇の第四皇子で『古事記』では”聖皇”
『日本書紀』では”聖帝”と書かれている  
應神天皇はもともと 兄弟の菟道稚郎子を跡継ぎにしようと
思っていたという
だが菟道稚郎子自身が仁徳天皇に後を継ぐことを勧めたため
天皇の座に就くこととなった
一旦は断ったが 王座を狙う兄が反乱を起こしたことで
それを収めるために 天皇の座についた…という話が残っている
第17代
履中天皇
今まで天皇の肖像画は神々しく描かれることが多かったようだが
仁徳天皇から 天皇は人間的に描かれるようになった
天皇になる前は恋人の黒姫と結婚するため  住吉中皇子を使者として
偵察に向かわせたというのだ
だが あろうことか住吉中皇子と黒姫が付き合うという悪夢の事態に…
住吉中皇子は「自分が履中天皇である」と黒姫を騙したというのだから
始末に負えん…起こった履中天皇は兵を挙げ
住吉中皇子とバッチバチのバトルを繰り広げたらしい…
第18代
反正天皇
反正天皇は履中天皇に協力し 側近を使って住吉仲皇子を殺害した
そのため履中天皇のあとに反正天皇が即位し
史上初の兄弟継承が行われることとなったのだ
都は丹比柴籬に置かれ平和は時代が続いたという  
だが反正天皇の政治についての記録はなく 似顔絵が残っているのみだ
「生まれた時からすでに歯があり 一枚の歯のようにキレイに並んでいた」や
「身長が約3メートルあった」といった逸話はあるが
信ぴょう性は分かっていない
第19代
允恭天皇 
允恭天皇は履中天皇と反正天皇の弟にあたる  
反正天皇が跡継ぎを決めないうちに亡くなったため
臣下の要請で天皇に即位した
当初は天皇地位に抵抗を示していたというが のちの妻となる
忍坂大中姫に懇願されて天皇の地位に就いた  
允恭天皇の実績でもっとも大きなものが「盟神探湯」だ
これは裁判において 嘘をついたものは手を入れると大やけどを負うという
ものだった…そのため正直者が増え 世の中はよくなったという

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