品川歴史探訪 増上寺の子院群 ~上大崎~

Описание к видео 品川歴史探訪 増上寺の子院群 ~上大崎~

夏目房之介さん「こんにちは、夏目房之介です。今日は品川区の一番北のはずれにあたる、上大崎1丁目に来ています。このあたりは、300メートル四方の一角に9つの寺が集まっているそうです。地図で見るとこのようになっています。9つの寺のうちの8つが港区の増上寺の子院、つまり増上寺を本山とするお寺なんです。なぜここに子院があるのか、その史跡を今日はたずねてみたいと思います」

ナレーション「港区芝公園にある増上寺。江戸時代、徳川家の菩提寺として特別な保護を受けていました。境内には、今も2代将軍秀忠をはじめ6人の将軍が眠っています。増上寺には、江戸時代、50近くの子院がありました」

夏目「ああ、このあたりは、本当に寺町ですね。あちらに1軒、こちらにも1軒お寺がありますね」

ナレーション「品川区在住の夏目さんの小さな旅が始まりました」

夏目さん「ああ、これで3軒目だな。むかいにもまた1軒あります、4軒目ですね」

ナレーション「戒法寺は、元和8年、1622年に創建され、1674年にこの地に移転してきました。境内の一角に、仏足石碑と言われる碑があります。仏様の足の裏の形を石に彫りつけたもので、仏像を作る習慣がなかった時代に礼拝の対象となっていました」

ナレーション「増上寺の子院が品川に移ってきたのは、1661年から始まったといいます。それは、どうしてなのか? 夏目さんは、郷土史家の菅井さんと増上寺子院群の1つ、清岸寺を訪ねました」

夏目「これが清岸寺ですね」

菅井さん「はいそうです」

夏目「この山門はかなり古いものですか」

菅井さん「ええ、これは焼け残った江戸時代のものです」

夏目「簡素なものですが。そうすると、空襲でこの辺では唯一焼け残ったものですか」

菅井さん「そうですね、特に本堂が焼け残ったというのが貴重ですね」

夏目「これは江戸時代のものですか」

菅井さん「そうです、約170年前のものだと考えればいいです」

ナレーション「そして子院群の移転の理由。それは」

菅井さん「そのきっかけは、明暦の大火です。」

夏目「そんな古いですか。」

菅井さん「振袖火事と呼ばれて、大火でして、江戸のまちの約6割を焼失したと、江戸城の本丸、西の丸も焼け落ちたという大火です。そのあと、戦災を受けた後と同じように、道路を直したり、家を整理したりと、区画整理が行われたようです。そこで甲府の宰相、徳川綱重が出てくるわけです。綱重が区画整理をしたところ、今の麻布狸穴町のあたりですが、そこに増上寺の8つの寺が集まっていたようですが、そこに屋敷を作るということで、その寺を8つこちらに移したという経過があります」

夏目「つまり徳川家がこの土地に屋敷を作るからちょっとどいてくれと。徳川のほうが宗教権力よりえらかったということですか」

菅井さん「おっしゃるとおりです」

夏目「なるほどね。それで8つもここに来ちゃったんですね」

ナレーション「夏目さんが次に訪れたのが隆崇院です。寛文9年、1669年に創建された隆崇院。本堂には、大正・昭和期に活躍した日本画家・伊東深水とその一門によって描かれた天井絵があります」

夏目「これが伊東深水の、唐獅子と牡丹ですね。美人画で有名な人ですけど、珍しいですよね。なかなか立派な絵です。周りは全部お弟子さんの花の絵だそうです。細かく見ていくと、それぞれ個性があります。なかなか面白いですね。一種のギャラリーです。現代の日本画なので、あまり見ない種類のものです。おもしろいです。僕が描くとすると漫画なので入れてもらえないと思いますが。なかなか立派な絵です」

ナレーション「元和元年に創建された常光寺には、お札の肖像としても有名な歴史上の人物に関わりのある史跡があります」

夏目「ああ、お札に関係があるということなんですけどね。福沢諭吉先生ね。なるほど。ぼくのじいさんもお札に関係があったのですけど。福沢先生のほうがだいぶお高いですけど」

夏目「そもそも福沢さんはここに埋葬されることになったんですか」

大谷寿雄さん「福沢先生が生前に三田に居住を構えて、今の慶応幼稚舎があるところ、天現寺が別荘でした。ここに散歩にこられて、自分でここがよいと、景色がよくて、ちょうど富士山が見えて、品川沖が見えて、高台だったものですから、ここがいいと自分で決めた」

夏目「大変気に入られたと」

大谷寿雄さん「生前にここに墓地をとられました」

夏目「自分が死んだらここに埋めてくれと、そういう話だったんですか」

大谷寿雄さん「そのようです」
ナレーション「現在諭吉の墓所はは港区の寺にうつされていますが、常光寺は諭吉の思いを今に伝えています」

夏目「このあたりのお寺をまわってみましたが、本当に前を通っただけではわからない歴史というのがいろいろあるとわかって、おもしろかったですね。実をいうと、この近くが実家でした。子供のころはここまで来ませんでしたが。母の先祖が代々、品川のあたりであったものですから、実は風光明媚で、海が見えて、帆影船が見えたと聞いたことがあります。そうしますと、このあたりの高台は当然品川が見えただろうと。もしも、その当時僕がここに来れたらこのような景色が見えたかもしれないなということで、あくまでもイメージですが、こういう漫画を描いてみました。今は見えませんが、それを想像するのも散策していて面白いことだと思います」

ナレーション「品川区には身近なところにまちの歴史を伝える史跡や文化財などが数多くあります。次回も品川歴史探訪をお楽しみに」

Комментарии

Информация по комментариям в разработке