菅野由弘:太陽の記憶「卑弥呼」古代祝祭劇 第1幕 Yoshihiro Kanno : Himiko act 1

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菅野由弘作曲:「卑弥呼」第一幕
Yoshihiro Kanno : Himiko act 1
2014年11月18日(火)19:00サントリーホール
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太陽の記憶 卑弥呼 作曲ノート
菅野由弘

 「卑弥呼」の記憶と「天の岩戸伝説」、そこに現れる太陽と皆既日蝕の記憶。あの小さな月が、大きな、そして大いなる恵みをもたらしてくれる太陽を覆い隠す、光を奪う、そんな瞬間があることを、現代の私たちは当然のように知っている。しかし、古代に於いて、日蝕はさぞや恐ろしいことだったであろう。ほんの短い間だが、お昼間に太陽が隠され空が真っ暗になり、冷たい風が吹く、天変地異以外の何物でもないと思ったに違いない。その短い時間は、ほとんど永遠とも思える長い時間に感じられたのではないだろうか。太陽、すなわち「卑弥呼」を呼び戻そうと、人々は歌い、踊り、精一杯の芸を披露したことになっている。が、実際には、恐ろしくてうずくまっていた人々がほとんどで、ただただ祈っていた、というのが現実であろう。そして、その祈りは通じて、太陽は復活する。日蝕のさなかに歌い、踊り、舞う、というのは不自然で、あり得ないということに気づいたのは、作曲を始めてからだ。東北の大震災で、阪神淡路大震災で、新潟中越沖地震で、地震のさなかに歌い、踊るというのは考えられない。それどころか実際には、何週間にもわたって、歌舞音曲はほぼ姿を消した。

 考えてみると、日蝕はある一地点でのみ起こるものではない。ベルト状に日本列島の各地で観測されたはずである。そして、各地で人々は恐れ、祈り、永遠の数分間を経て顔を覗かせる太陽の復活を言祝ぎ、歌い、踊り、舞い、喜びを体一杯に表して歌舞音曲をくり広げた。そこに、日本の芸能=芸術の原点がある。順序としては、この方が自然であろう。ただ人々は「復活」を信じ、「復活」を望み、「復活」を喜んだ、この事だけは間違いないと思う。もちろんそれらは歴史的検証のしようもない夢想に過ぎないが、そうした祝祭空間を創り出そうとしたのが、この太陽の記憶「卑弥呼」である。そして、震災からの心の「復興・復活」を願って作曲した。

 音楽は、「あり得たかも知れない日本のオーケストラ」の再現である。「あり得たかも知れない」が「実際にはなかった」日本のオーケストラ。日本の音楽の歴史は、縄文や弥生の「フエ(笛)」、「コト(箏・琴)」など超古代のプリミティブな時代は置くとして、聲明(552年頃)の伝来に始まる。そして雅楽(700年代〜850年頃完成)、琵琶法師の平曲(1200年代初頭)、能(1300年代)、三味線、箏、尺八(1600年代)という順番で、日本の伝統音楽となっている。更にオーケストラやパイプオルガンなどの洋楽は、織田信長の時代(1500年代)に遡る一部の人が聞いた事を除いて、1900年代から日本に定着した。しかし、日本の伝統音楽には、それらの音楽(楽器)が一堂に会して合奏する、という概念は生まれなかった。この事には様々な要因が考えられるが、あり得たかも知れない、しかし実際にはなかった日本のオーケストラは、どのような音がしたのだろうか?

 物語は「開闢」から始まる。地球の誕生、宇宙で言えばビッグバン、天地創造。前半は、こうした大地の生成、生命の誕生、といった「卑弥呼」誕生以前を、「古事記」や「日本書紀」の伝説を元に翻案したストーリーとした。後半は「卑弥呼」が誕生し、人と交わり、私が太陽の化身と解釈している「卑弥呼」が月に隠され(即ち日蝕が起こり)、人々は祈り、そして復活する。「誕生」と「復活」という、極めて古典的なテーマを、更に遡る古代的物語りとして展開。そして私たちは、今日ここに集って下さったお客様とともに「復活」を信じ、「復活」を望み、「復活」を喜びたいと願っている。

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