ウクライナから日本に避難 多くが女性と子ども「学校や仕事どうする」言葉の壁の中 生活支える支援を (22/04/04

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ウクライナでの戦禍を逃れて避難してくる人たちが、東海地方でも増えてきました。少しでも助けになればと、募金や物資の提供など、日本での生活を支える動きが広がっています。

「おはようございます」(川口リュドミラさん)

 愛知県東海市に住む川口リュドミラさん。2週間前、妹のリュボヴさんと双子の甥たちを日本に呼び寄せました。父親と、リュボヴさんの夫はウクライナに残りました。

 リュボヴさんは、日本で仕事をして、帰国する時に備えて渡航費も貯めたいと考えています。

 子どもたちの教育をどうするかは大きな問題です。双子のキリロくんとコスティアンチンくんは6歳。日本では、4月から小学1年生です。

 しかし、日本語が分からないまま、学校生活を送れるのか。市の職員と話し合いが行われました。

日本語話せない避難家族 6歳の双子の学校はどうする?

「いろいろ考えると、保育園からの方がいいかもしれない」(川口リュドミラさん)

「日本の生活に慣れたりとか、そちらから始めるのが慣れやすいかなと。学校で友達ができないわけではないので、公立学校なので日本語で進んでいくことを考えると、言葉が分からないところで負担がかかってしまうのは心配ですけど」(市職員)

 市からの意見をその都度、ウクライナ語にしてリュボヴさんと2人で話し合います。

「(妹たちは)戦争が終わったらすぐに戻りたいから、ウクライナは学校が9月から新学期が始まるから、ずっと日本にいるのが目的ではないです」(川口リュドミラさん)

 市側からは「一学年下の保育園に特別に入って慣れた後、小学校も体験しながら、子どもたちにとってどちらがいいかを決めてはどうか」と提案を受けました。

「子どもたち少しずつ日本語も覚えられたら、妹も仕事を探せる。子どもたちは日本語と、友達ができるチャンスを作らないといけない」(川口リュドミラさん)

「日本の皆さんはすごく温かく、親身になって助けてくれて嬉しい」(リュボヴさん)

 仕事のこと、教育のこと、すぐにも決めたいことばかりですが、この日、結論は出ませんでした。

出産間近の体で、母と妹の来日をサポートした女性も

「お米とか傘とか・・・」(日本へ避難してきたウクライナ人)

 ウクライナ支援の動きは、この地方でも毎日どこかで行われています。3日、名古屋・栄では、日本に避難したウクライナ人に、寄付で集まった食料や日用品などの支援物資が提供されました。

「私のお母さんです。私の妹です。3週間前に日本に来ました」(ヴラディスラヴァさん)

 東海市に住んでいるヴラディスラヴァさん夫婦は、出産間近の自分の体を気遣いながら、母親と妹の来日に向けてサポートをしてきました。

Q.出産を控えて、母親がいると助かる?
「そうですね」(ヴラディスラヴァさん)

「出産で家族1人増えると思ったら、母と妹も合わせて3人増えることになりましたので、平和な環境を維持していきたい」(夫の小林和弘さん)

Q.日本に来て興味が湧いたのは?
「природа(自然)」(避難してきた妹のヴェロニカさん)

「今週、一緒に桜を見に行って、初めて桜を見て本当に素敵と思ったそうです」(ヴラディスラヴァさん)

大好きなぬいぐるみと避難した男の子「パパとおじいちゃんに会いたい」

 支援物資のパンを頬張る少年がいました。西部のジトーミルから家族で避難してきたティムールくんです。

Q.ぬいぐるみの犬の名前は?
「サバカンナ」(ティムールくん)

 日本に住む叔母を頼り、サバカンナと名付けたぬいぐるみと一緒に、小さな体で頑張って避難してきました。

「1日3~4回くらい防空壕に入らないといけない。それが一番苦しくて、子供もストレスに」(ティムールくんの叔母で日本で暮らすノーバック・リュドミラさん)

 3日、支援物資を受け取ったのは、12の家族。日本まで来たウクライナ人の多くは、女性と子どもたちです。

「今は心配ない、元気で。でも、パパとおじいちゃんに会いたいと毎日言っている」(ノーバック・リュドミラさん)

 祖国での戦火を逃れ、約8000km離れた遠い日本へ避難してきた人たち。言葉の壁はあるけれど、迎え入れる私たちが、彼女らの声に耳を傾ける努力を、今する必要があります。

(4月4日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)

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