発達障害と自己評価、自尊心

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00:00 OP
01:26 周りと違う
02:22 なぜ違うのか
03:58 親子関係のトラブル
05:17 抽象的に考える力
07:55 親自身も発達障害

本日は「発達障害の自己評価」というテーマでお話ししようと思います。

発達障害とは何かというと、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、学習障害(LD)、この3つの障害のことを合わせて発達障害と呼びます。
 
これらはASDだけではなくて、ADHDの要素やLDの要素を持ったりするように、合併している場合が多いんですよね。なのでまとめて発達障害と呼ばれることが多いです。

発達障害の人たちというのは、自己評価が低いことが多いんですね。
トラウマを抱えていたり、自分のことを価値がないと思っていたり、自分はダメな奴なのではないかと思い込んでいたり。
実際そういうことをいろいろな人から言われて、心に傷を持っていることが多かったりします。

今回は、なぜそうなのかということを一個一個つながりを確認しながら一緒に考えていけたらなと思います。

■周りと違う

まず、発達障害の人の特徴として周りと違うということです。
周りと違うんですよ。

他の人はできるけど、自分にはできないことがあったりします。
得意不得意の差が激しい。

他のことは全部できるんだけど、なぜか体育だけできないとかね。運動神経が悪いみたいな感じで。
できないといっても、極端にできない。そこだけ本当にすぽっと全くできないというのが発達障害らしさです。
他のことはできるのに漢字は書けないとか。
本当に得意不得意のバランスが悪かったりします。

できないことも多かったりするので、周りと同じようにできないと馴染まないんですよね。
だから変に目立ったりとか、ふざけているように思われたりしてしまうということです。

■なぜ違うのか

なぜそういうことが起きるかというと、まず興味の偏りですよね。
興味に偏りがあって、興味がないからできないんです。
他の人も興味がないんだけれども、興味がないなりに入ってくることがいっぱいあるんですよ。
 
漢字とか別に興味ないんだけどなんとなく入ってきたり、政治や経済のニュース、スポーツ、野球球団のことは興味ないけど、なんとなく目に入ってきたりニュースが入ってきて、なんとなく知っていることはいっぱいあるんだけども、全部シャットアウトしてしまって全然入っていないんですよね。
これが発達障害の人らしさだなと思います。

なので「暗黙知」というのが不足していたりします。
暗黙の了解というか、普通こうだよねとか、「それって言われたことないからわからないよ」と発達障害の人はよく言うんですけど、なかなか言わないし、教わったとしても右から左に流れていることが多かったりします。
なのでできないこともあるし、こういうことからコミュニケーションが苦手だったりします。

コミュニケーションが苦手なのは何かというと、こだわりもあるんですね。
自分のこだわりがあるから、相手に妥協できない。妥協できないからコミュニケーションがうまくできない、相手の立場に立ちにくいとか、こだわりがあるから逆に上手くできないんですよね。
 
こうやってみたらと提案されても、なかなかそういう風にできなかったりするのも発達障害の人らしさです。

■親子関係のトラブル

親子関係に至ってはトラブルが起きるんですね。
だけどしつけにくいんですよ。育てにくい子供になっちゃうんですね。
 
どうしてもこだわりが強く自分を貫こうとしたり、うまくできないので親子関係にトラブルが起きやすい。コミュニケーションも苦手なんですよね。

だから親も子供とどう接したらいいかわからないということで、関係が悪くなることがよくあります。親と関係が悪いから結局自己評価が下がったり、自分はダメなんじゃないかとか、心にトラウマを持ってしまうことは結構多いです。
 
トラウマも忘れられないんですよね。記憶をそのまま保存してしまう。忘れる力が弱いんですよ。
瞬間的に画像のように覚える力があったりする人もいるんですけれども、それは覚えることはできるんだけど、応用が利かないんですね。
 
だから親子関係で問題があっても、悪いものを忘れられない。
いつまで経っても、子供の時のつらかったこととかを、20歳とか30歳になっても親に文句を言い続けたりすることもあります。
文句言ったりすると言うとあれですけど、でもそういうことは多いです。

■抽象的に考える力

結局、なぜトラウマを忘れられないかというと、見えないものを見る力とか、物事を抽象的に考える力が弱かったり、抽象化していく力が弱かったりするからだと言われてます。
逆に具体的に覚えていく力があるからこそ、抽象化する力が弱いのかもしれないですけども。でも、ここの力は弱いですね。
 
自分中心で考えることが得意。
自分中心で考えてしまうので、脱中心化は行われないんですよね。だから自分のことを忘れて何かに熱中することが結構苦手で、自分の好きなことだったらそうかもしれないけれど、他のことの時には常に自分中心で考えて、自分が楽しいか楽しくないか、自分が食べたいか食べたくないかで考えてしまう。
そういう自分という基準を外して物事を考えたりするのも結構苦手だったりします。
 
だから他の人から見たら、すごく自己中心的でわがままな人に見られるんですよね。でも、何で他の人はみんな嫌なことやっているの?と発達障害の人たちは思うんですよね。

自分の好きにやればいいじゃん。自分でやりたいことをやればいいいいでしょう?
皆そうすればいいじゃないかと発達障害の人たちは結構思うし言うんですけども、いや、もちろんね、神の見えざる手があるから何となく皆まとまるんだよと言うんですけども、そんなわけなくて。

皆が本当にやりたいことをやっていけば世の中が混乱してしまうので、だいたい周りを考えつつ動くんですよね。
だからサッカーのチームの時にFWは自分の好きにやっちゃえばいいんですよ。点取り屋は。
だけどMFとかDFは自分の好きなように動くのではなくて、今チームがどう動いているのか、だからこう自分は動くべきだなとか、自分が今やるべきことはここだなということを考えながら動くんですよね。

それで良いパスをFWに渡せばいいので、だから何でもかんでも自分中心でいいということにはなりにくいですよね、世の中。
そのわがままが故に魅力的だったり、強引さがあるが故にそこに全振りするからシュートを決めたりするところもあるんですけどね。
でもまあ、そういうことですね。

今も話したように紙一重なんですよね。紙一重というか裏表なんですよね、長所と欠点は。
発達障害の人はすごく自己評価は低くてあれなんだけど、それがたまらなく魅力的に見えることもあったりします。

■親自身も発達障害

親子関係でトラウマを持つことが多いんですけど、じゃあ子供だけの問題なのか、本人だけの問題かというと、そうではなくて、親自身も発達障害であることが多いです。

親自身もコミュニケーションや抽象化が苦手だったり、こだわりが強くて自分のルーティンを子供に押し付けるとかそういうことが起きたりするので、なおさらバッティングが強くなるところがあります。
子供は子供のルーティンを守りたいし、親は親のルーティンを守りたいので、妥協し合えないからぶつかる。
  
そしてコミュニケーションも苦手だから、妥協のポイントを見つけられず険悪になっていくことは親子共々発達障害だとよくあります。

親自身も発達障害で、兄弟姉妹に発達障害がいて、自分より重い子いれば軽い子もいたりしますね。
自分より重い場合は、自分がフォローしなければいけないので、結果的にヤングケアラーみたいになってしまうことがあります。
兄弟のために自己犠牲をしてしまう、奉仕しすぎてしまうこともよくあります。

発達障害だから自己中心的かというとそうじゃなくて、今度は逆に自分のことをよく考えずに、自分はスカスカのまま家族のために何かをしてしまうパターンもあります。

あと親自身が発達障害で夫婦仲が悪くて、喧嘩している様子がストレスで虐待のようになっているケースもあるだろうし、それが心のトラウマになっていることもある。
親自身がASD傾向が強くて子供のことを無視してしまう、ネグレクトみたいになってしまうこともある。
逆に自分のこだわりを押し付けたり、教育的な虐待が起きたり、普通に虐待があることも珍しくないなという感じです。
こういう親子問題があるのでトラウマがあるというケースもあります。

■自分をしつけることも苦手

あとはしつけにくいということなんですけども、親が子供をしつけにくいように大人になった自分は性本能や不安のコントロールが苦手なんですね。

自分で自分をしつけることも苦手だったりしますね。
だからいろいろなトラブルがあったりします。
不倫浮気の問題を起こしてしまうとか、ドラッグの問題が起きたり、アルコールの問題、ギャンブルの問題が出たりします。

コミュニケーションが苦手なので、結局悪い仲間を作ってしまう、悪い仲間しかできないこともあるんですね。
悪いことをする同士だから共有できるとか、サブカルの世界に入っちゃうこともあって。
別にサブカルが全部悪いわけじゃないんだけども、そこの悪い部分に一緒に引きずられていく中、ぐじゃぐじゃになってしまうことも結構あったりします。
健康的な集団ではないこともあったりします。

そういう中でいるとまたいじめがあったり問題があったりして、弱い人の中で弱い人をさらにいじめるという構図もできたりする。その時は結構悲惨なんですよね。
トラウマがある人がさらに誰かをいじめるときは、より強い暴力が生まれやすいので、負の連鎖が濃くなることがあったりします。
 
発達障害の人は自己評価が低く、誰のようなことになったらあなたは満足するの?と聞いてみると、なかなか答えにくいことは多いですね。
じゃあ芸能人になったらあなたは幸せになれるんですかとか、正社員になればあなたは幸せになれるのか、とかいろいろ言ったりします。
 
結局、本当に今は低いかもしれないし、怒っているんだけど、その先ですよ。その先はどんなものになりたいのかとか、どういう自分になりたいのかを見る力や想像する力が弱かったりします。

それは能力的な問題なのか、知識経験の問題かわからないですけど、複合的なものだと思いますけど、なかなかわからなかったりするというのもあるかなと思います。

なので治療としては、色々なところを地獄めぐりみたいに一個ずつ回っていくんですよね。
こうやって色々回ってまた同じところに戻ったりして。
地獄巡りをしていって一個一個のところを柔らかくしていく。そうすると良くなっていくっていう感じです。

今回は、発達障害の自己評価というテーマでお話ししました。

#精神科医 #益田裕介 #オンライン自助会

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