日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/8/26)

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2024年8月26日(月)

【旧約聖書】
あなたは死から私の魂を、つまずきから私の歩みを救い出してくださいました。神の前、命の光の中を進み行くために。詩56:14(協)

【新約聖書】
(イエスは)子どもの手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。マコ5:41-42(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 福音書のなかには、イエスが死んだ人を生き返らせる物語がいくつかあります。今の私たちにとってこの物語は、とてもそのままでは信じられないのですが、それは当時の人々も同じです。福音記者マルコはこのように記しています。「(イエスは)子どもの手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。」イエスが少女の手を取ると、死んでいた少女が起き上がって、歩き出したのです。びっくりする出来事です。この「タリタ、クム」のはアラム語なのですが、このマルコ福音書を読んでいるアラム語が分からないギリシア人たちには、奇跡を引き起こす魔術的な言葉に響いたかもしれません。水木しげるの「悪魔くん」で使われる「エロイムエッサイム」みたいな感じです。ですが、マルコはそれをギリシア語でわざわざ「これは『少女よ、さあ、起きなさい』という意味である」と解説しているのは、イエスが行った奇跡の業が、得体の知れない魔術ではない、こういった意味の言葉をイエスは言っているのだと、示そうとしています。

 ここで大切なことは、「手を取って」という表現です。この物語の直前には、12年間も出血が止まらない女性の物語があり、彼女はイエスの服に触れることで病が癒やされました。そして、この少女はイエスが手を取ることで生き返りました。当時、出血に関わる病気や死者というのは、汚れた者として直接触れる事が禁止されていました。ですから、このような病気の人や死んだ人、まもなく死を迎えるような人は、誰からも触れられることなく、人々から切り離されたような状態になるのです。この孤独感は病以上に辛いのではないでしょうか。そこにイエスは手を触れられた。それは、孤独や社会から切り離された人を、命の源である神さまが直接触れて、一人でないと示してくださったのです。手で触れる。それはまさに、その人が社会のコミュニティに再び繋がった瞬間なのです。

 この時期、庭にはやぶがらしが繁殖します。葉っぱをとったり、根っこは長い地下茎ですから、それを上手とったり、とても大変です。しかしあれほど旺盛な生命力を持って広がっていっても、根元を切られるとすぐに枯れます。私たちにとって死とは、命の源の根元から切られることです。ですが、命の源である神さまと繋がっていれば、枯れて死を迎えることはないのです。そして神さまも、私に繋がっていなさいと、手を差し伸べてくださっています。神さまと繋がっている者は死ぬことがない。旧約の詩人は歌います。「あなたは死から私の魂を、つまずきから私の歩みを救い出してくださいました。神の前、命の光の中を進み行くために。」私たちに今日も神さまは手を差し伸べてくださっています。その救いの御手をしっかり握りしめ、起き上がって歩きたいと願います。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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