No.615_城跡巡り 諸輪中城址(愛知県東郷町)

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2024年6月21日(金)
諸輪中城(もろわなかじょう)
所 在:愛知県愛知郡東郷町諸輪中市20
候補地①:35.1038086, 137.0691311
候補地②:35.1042283, 137.0701403
駐車場:なし
別 名:なし

⚫︎城主は尾張の古い豪族丹羽氏の末流で、丹羽次郎三郎とされています。
城の規模は、東西約40m、南北80mの長方形で江戸中期までは堀や土塁が残っていました。場所については、清安寺周辺(清安寺の東あたり)と伝わります。

⚫︎傍示本城の城主でもあった氏重の居城と伝わる中城の場所は、諸輪字中市、清安寺の東あたりと伝えられています。氏重は、美しい側女・おくらとその子ども市兵衛を中城の近くに住まわせていたという伝承もあります。現地には今でもおくらが信仰されたとされる稲荷社があり、氏重とおくらの穏やかな生活を今に伝えています。https://www.town.aichi-togo.lg.jp/sos...
(東郷町ホームページより)

⚫︎諸輪城は、尾張の東南部、三河に近い愛知郡東郷町にあり、南・中・北の三城にわかれていた。南城は、土豪の柘植道昌によって築かれ、その位置は、城脇池(現在の東郷池)の南と考えられ、東西およそ75m、南北78m、ほぼ正方形の平城であった。東に大手門があり、三方に堀を巡らしていた。中城および北城は、尾張の古い豪族丹羽氏の末流で、中城主は次郎三郎、北城主は右近大夫であった。いずれも東西約40m、南北80m、長方形の平城で、江戸中期までは堀や土塁が残っていたようである。現在、遺構は消滅している。
 諸輪城付近には松がよく茂り、名古屋城の松は、多くはこの地から移しかえたものである。
(日本城郭大系9 284ページ)

⚫︎東西20間(36m)、南北38間(68.4m)。今耕地で空堀の跡がある。『尾張志』に、「里伝にいう丹羽次郎三郎これに居る」とあり。次郎三郎は岩城城主丹羽氏次の弟で、天正12年(1584)岩崎城に戦死した。
(日本城郭全集7 209ページより)

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