第112回「考えを止める方法」2021/4/28【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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本日の管長日記は、「考えを止める方法」です。
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。

本日もよろしくお願いいたします。
 
■管長日記「考えを止める方法」
https://www.engakuji.or.jp/blog/33647/
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二十二日の管長日記に、こういうことを書きました。
日曜日にゆったり坐禅会を行ったことに触れて、次のように書いたのでした。

「頭であれこれ考えることを一瞬で止める方法を思いついたので、紹介しました。

頭であれこれと考えすぎるから、苦しみが生まれるのです。

坐禅中は、その頭の働きを止めるのです。

ところが、止めようとすればするほど、心は揺らぎ動き、とめどなくさまようのであります。

どうしたら、思考を止められるか、効果的な方法を思いついたので、それを皆さんに披露して一緒に実践したのでした。

自分でやっても随分と効果的で楽になりました。」

というものでした。

これをご覧になった方から、どうしたら考えを止めることができるのかという質問をいただきました。

坐禅中は、雑念妄想が沸いてくるものです。

次から次へと沸いてきます。

坐禅は無念無想にならないといけないと思う方が多くて、その雑念妄想を目の敵にして、何とか片付けようと思って頑張るのです。

そこで、雑念が湧いても気にせずに、雑念が湧いたことに気がついて、また呼吸に帰ればいいと指導したりします。

そのために数息観などは、効果的です。

自分の呼吸を数えるのです。

考え事をしていますと、数を忘れます。

今考え事をしていることが、呼吸を数えることによってはっきりするのです。気づきやすいのです。

気づいたら、また呼吸を数えることにもどればいいのです。

或いはただ無字の呼吸で断ち切るという方法もございます。

無の一字をあたかも一振りの刀のように心得て、沸いてきた念を断ち切るようにしてただ「むーっ」と坐るのであります。

これも効果的でよろしいのです。修行道場では主にこの無字の呼吸を指導しています。

先日の日曜日の「ゆったり坐禅会」では、文字通り「ゆったり坐る」ことを主眼として行いました。

そんなに力まずに、自然にゆったりとしてもらう坐禅でありますから、どうしたいいのか、何日も前から考えていました。

雑念が沸いたら、沸いたままにしていれば自然と消えるのだという盤珪禅師のお教えも尊いのですが、ややもすれば雑念だらけのままで終わってしまいかねません。

わずかの時間でも何かを体験してもらいたいと思って工夫したのでした。

まず、考えというのはなぜ沸いてくるのかを考えてみました。

人間というのは、絶えず何かを考えるようにできています。

歩きながらも、ご飯食べながらも、お風呂に入っていても、何かを考えています。

なぜなのかと考えますと、私の憶測でありますが、人間というのは、動物の中でも実に弱い存在だと思いました。

ひとつの動物としてみると、人間は身を守る為に何かを特別の能力があるというわけではありません。

馬のように襲われても早く逃げることができるということもありません。

亀のように甲羅があれば、その甲羅にこもっていれば、何も考えなくても大丈夫でしょう。

人間大昔は常に生存に危機にさらされて生きていたのだと思うのです。

そうすると、常に考えていないと、危険だということになります。

ご飯食べてても歩いてもいても、襲われないか、どうしたら逃げられるかを考えていたのだと思うのです。

ですから、考えることを悪いことのように思わずに、この私を守る為によく考えていてくれるのだと感謝することから始めようと思ったのでした。

「考え」の側の立場で考えてみると、弱い人間を守る為にいつも考えているのに、急にこの頃身の危険が少なくなったからといって、坐禅なぞ始めて、考えを目の敵にされるのは、心外であります。

そんなことをされたら、なおのこと考えてやろうと反発するのです。

考えは悪くないのです、私を守る為に一所懸命に考えていてくれるのです、ありがとうという気持ちがまず大事ではないかと思います。

一所懸命に考えてくれているのに、取り除こうなどと思うと、考えも反発しますから、まず「いつも考えてくれてありがとうね」という感謝に気持ちで接したらどうか、その方が「考え」も落ち着くのではないかと思ったのでした。

そこで、呼吸を調える、その呼吸に合わせて感謝するということを試みたのでした。

まず鼻から息が入ることを意識します。

鼻から息を吸いながら、鼻の裏、後頭部、そして頭頂まで頭いっぱいに空気が満ちてゆくことを感じます。

その息が行き渡るのと同じに、「今までよく考えてくれてありがとうね、今は少しお休みしてだいじょうぶだからね」と感謝の気持ちを送るのです。

そうしますと、「考え」の方でも悪い気はしないはずなのです。
そうかそういってくれるなら、少し休んでみるかという気になるのです。

更に頭に満たしたら、喉にまで息を満たします。

息が行き渡るのと同じに、喉にも「いつも食べ物を飲み込んでくれてありがとう、いつも声を出してくれてありがとう、今は少し休んでくださいね」と感謝の思いを届けます。

新しい空気と有り難い感謝の気持ちで喉を満たします。

更に胸にまで息を満たしてゆきます。

胸には大きな肺があります。

常に息をしてくれている肺です。

肺にいっぱい空気を満たして、それと同じに肺に「いつも空気を吸って吐いてくれてありがとうね」という感謝の思いを届けます。

新鮮な空気と感謝の気持ちで胸を満たします。

さらにお腹に空気を満たしてゆきます。

お腹は、おへそから上の上腹部とおへそから下の下腹部に分けます。

上腹部には胃があります。

いつも消化してくれている胃です。

胃にまで新しい空気と感謝の思いを満たします。「いつも消化してくれてありがとうね、今は少し休んでくださいね」という気持ちです。

さらに下腹部にも届けます。

新しい空気と、腸に対して、「いつも吸収してくれてありがとうね」という思いを届けます。

そうして、頭から下腹部まで新鮮な空気と共に感謝の気持ちで満たします。

そうしましたら、今度はおへその下に小さな穴が開いていると想像して、そこから体内にたまった空気が外に出て行くように思います。

そして、また鼻から新しい空気が入ってきて、頭、喉、胸、上腹部、下腹部と新鮮な空気と感謝の思いで満たしてゆくのであります。

そんな坐禅を試みたのでした。

多くの人がどのように感じたか分かりませんが、私自身は、土曜日から出掛けていた疲れもすっかりと取れて、何時間も無字の呼吸で坐禅した時のような満ち足りた清々しい心になれたのでした。

考えを払おうともせず、そのままということでもなく、感謝の気持ちで考えを収める方法なのでした。

ご参考になれば幸いであります。

また機会があれば、ゆったり坐禅会でも行いたいと思います。


横田南嶺
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