上野三碑ができるまで(②山上碑・金井沢碑編)

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平成29年10月31日 祝 上野三碑 ユネスコ「世界の記憶」登録

山上碑と金井沢碑が建てられた経緯を紙芝居風のアニメーションで再現しています。

上野三碑の概要を紹介するものと、多胡碑編のアニメーションもあります。以下のURLからご覧ください。

上野三碑の紹介【群馬県高崎市】(①概要編)   • 上野三碑の紹介【群馬県高崎市】(①概要編)  
上野三碑ができるまで(③多胡碑編)   • 上野三碑ができるまで(③多胡碑編)  

山上碑(やまのうえひ) 山上碑は681 年に建てられた石碑で、完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑です。碑文には、ヤマト政権の直轄地である佐野三家(屯倉)の管理者であった健守命の子孫である黒売刀自と赤城山南麓の豪族とみられる新川臣の子孫である大児臣が結婚して長利が生まれたことが記されています。放光寺の僧である長利が母である黒売刀自の供養をするとともに、上野国の有力豪族・佐野三家の子孫であり、国家的な寺院の僧でもある自らの存在を後世に伝えるために建てたと考えられています。 金井沢碑(かないざわひ) 金井沢碑は、726(神亀3)年に三家氏を名乗る豪族が、仏教の教えを基に結束すると共に、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑です。 碑文には三家氏の一族である9人の名前が記されており、三家氏と物部氏という豪族同士が親戚関係にあったことが分かります。また、9人のうち4人が女性であり、当時は一族の結束に女性が大きな役割を果たしていたことがうかがえます。 さらに碑文からは、古代東国での仏教の広がりや律令政府による行政制度の整備状況などを知ることができます。 なお、碑文に刻まれた「群馬」の文字は、県内においては最古の「群馬」の使用例です。

上野三碑の詳しい情報はこちらのページでご覧いただけます。
http://www.city.takasaki.gunma.jp/inf...

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