街道町から昭和戦後の工場街へ/ぶらまんぼう 大泉町 後編(群馬県)

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From Kaidomachi to post-war factory district of the Showa era/Buramanbo Oizumi Town2 (Gunma Prefecture)

群馬県大泉町は、群馬県最南端かつ一番小さな町。1957年に小泉町と大川村が合併して大泉町となった。関東平野では何の変哲もない利根川左岸の農村で、館林から伊勢崎へ向かう旧尾島往還沿い(旧小泉町の中心)に小さな町場が形成されているに過ぎなかった。最初の転換期は、第二次世界大戦前の1930(昭和15)年の中島飛行機小泉工場と1931(昭和16)年の太田・小泉飛行場の開設で、ここから工場街の歴史が始まる。終戦後の1945(昭和20)年に、旧中島飛行機の施設群は米軍に接収されキャンプドル―となり、大泉町は米軍基地のある街となった。旧中島飛行機小泉製作所の土地は、1859(昭和34)年に返還された後、三洋電機の工場(現パナソニック東京製作所)となった。一方、旧中島飛行機太田飛行場は、1969(昭和44)年に返還された後、富士重工の工場(現SUBARU群馬製作所大泉工場)となった。大泉町は、高度経済成長期からバブル期にかけて、主に2つの工場に対する門前町として発展した。
現在見られる町並みは、高度経済成長期の建物群とバブル期以降のブラジル人をはじめとする外国人移住による外国人商店街が特徴である。大泉町は、町民の20%近くが外国人であり、国籍も40ヵ国を越えていて、日本の中でも屈指のインターナショナル都市である。現在は、外国人街を打ち出した観光化も推進されており、わが国の中でも異色の存在となっている。

後編は、東西の都市軸である旧尾島往還・旧国道354号線に沿って、旧小泉町の中心地からブラジル人向けのマーケットが集中するエリアまで、戦前の街道町と戦後高度経済成長期の名残を追いながら練り歩きます。

集落町並みWalker
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