3分でわかる円空(人から分かる3分美術史172)

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江戸時代前期の僧侶であり、江戸期を代表する仏師として知られる円空を紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は円空について勉強していきましょう。

円空。1632年生まれ。江戸時代前期の僧侶であり、江戸期を代表する仏師として知られます。

円空は、3代将軍徳川家光時代の寛永9年に、今の岐阜県にあたる美濃国の竹が鼻に生まれたと云われます。

円空の家系や若い頃の暮らしぶりはわかっていません。円空が幼い頃に母親が亡くなり、それに伴って出家したと考えられています。
一般に、日本の仏像彫刻の発展は鎌倉時代の慶派を最後にして止まったと考えられており、それ以後に有力な仏師は現れていませんでした。また、室町時代の末期には、宿院仏師と呼ばれる出家しない職人の仏師集団が登場し、僧侶と仏師の分離が進んでいました。
そんななか円空は32歳頃から、僧侶としての修行の一環として、本格的に仏像を彫るようになります。
円空の最初期の作品が、「天照皇太神と阿賀田大権現」。1663年、円空32歳頃の作品です。20センチほどの小ぶりな神像となっています。
円空はこの頃から、地元の美濃国を出て各地を渡り歩きました。円空は修験道の影響を受けており、その修行の一環として旅をしたと考えられています。
そのなかで次第に、円空独自の作風を生み出していきます。
「馬頭観音」は1676年、円空45歳頃の作品であり、張り出した眼球や微笑んだ口元に円空仏の特徴が見られます。
これ以後円空は、引き続き諸国を渡り歩きながら、多くの仏像を生み出していきました。

円空の作品を見ていきましょう。
「荒神」。1676年、円空45歳頃の作品です。円空は木材の形を活かした作品を数多く作りました。本作では、木の根に顔と手だけが彫られた二頭身の像となっています。
「両面宿儺」。1685年、円空54歳頃の作品であり、代表作として知られます。

円空は、1695年に64歳で亡くなります。それまでに、12万体とも云われる多量の仏像を生み出しました。それらは寺院に置かれただけでなく、多くが民衆の手に渡り、信仰の対象となりました。
現在では、簡素ながらも迫力のある作風が高く評価され、江戸期を代表する仏師として知られています。

以上!

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