なかなかよくならない患者さんの特徴と解決法

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00:00 OP
02:48 時間をかければ確実に良くなる?
06:16 内的世界の充足を目指す
14:05 同じ空気を吸い続けること
17:26 万能な人間像
19:16 複数の他者とのつながり

本日は「なかなかよくならない患者さんの特徴」というテーマでお話しします。

精神科の患者さんは良くなるのに時間がかかります。
とてもかかります。

救急の1時間、内科の1日、精神科の1ヶ月と言ったりするんです。
救急現場では1時間単位で変化することが、内科の病棟では1日がかりで変化する、そして精神科だと1ヶ月がかかるよ、という精神科医を揶揄したような言葉だったりするのですが、間違ってはないです。
当時はわからなかったけれども、この言葉の意味は何年も臨床をやってると噛みしめる機会は多いです。

例えば野球のペナントレースってあるじゃないですか。
あまり野球のことを知らない方が多いかもしれないですけど、ペナントレースにおいて、優勝チームの勝率は多分6割から6割半ぐらいなんですよ、全体シーズンを通して。
逆に最下位のチームは勝率4割くらいだったりするんですね。

数試合単位だと有意差がよくわからなかったりするんです。
でも年間を通して見ると、差がわかってくるということなんです。
中長期的に見なければわからないですよ、ということなんです。

精神科もそういうところがあって、波があるんです。
良くなったり、悪くなったりを繰り返すんだけれども、割と長い目で見なければいけないです。
ペナントレース以外にも麻雀とかポーカーとか最近だとポケモンとかですね、1試合1試合は運の要素がすごく絡むんだけれども、長い目で見たときには実力差が出る。

精神科の問題というのも似ていて、瞬間瞬間は様々なファクターが絡み合うので、脳の問題なのか、相手の問題なのか、環境の問題なのか、色々なことを考えるんだけれども、中長期的に見たときには、やはり本人の病気の要素、本人の特性の要素、本人の遺伝的な要素、本人が抱えている構造的な問題というのが見えてきたりします。

長い時間をかけないとわからないものでもあるし、長い時間をかけないとその問題に対してアプローチできないというのも精神科の特徴です。

■時間をかければ確実に良くなる?

問題点がわかりました、長く時間をかけたら確実に良くなるんですか? と言われても、またちょっと返答に困るんです。

2つの要素があって、良くならないと言っても機能として良くならないというものももちろんあるんです。
脳みそというのは脳の神経細胞の集まりで、脳の回路を作っているんです。
色々な回路を作っていて、それが複雑に絡み合うことで1つの臓器として成り立っているのですが、ある1つの回路に異常があった場合、それが1つの機能の劣性というか弱さにつながってきます。

例えばうつ病であれば、セロトニンに関係するような神経回路がやられてしまうんです。炎症によってやられてしまう、弱くなってしまう。

その結果、抑うつ的になる。
機能として感情系の機能がやられてしまうんです。
元気が出ないとか、意欲が出ないという機能低下が起きてしまいます。

これらは休養や療養によって回復していくんです。
セロトニン再取り込み阻害薬SSRIなどを飲むと、その回復が早まるということがわかっている。
だからうつ病はそういう機能回復の要素はある。

だけど一度やられると、やはり再発しやすかったりします。
もちろん再発せずにそのまま良い状態を保てる人もいるけれど、一度やられてしまった回路、一度弱くなってしまった回路は再発を繰り返しがちだったりします。

あとは統合失調症の幻覚妄想状態というのもドパミン系の回路の異常ですし、そこは薬物治療によってキープしてあげなきゃいけないことも多い。
双極性障害においても気分の安定効果は弱いので、薬を飲み続けることで再発を防ぐ必要があったりします。

機能は回復するんだけれども完璧には回復しない、というものも精神科の中にあります。

ただ、完璧に近いほど回復するものもあって、適応障害であれば比較的浅い段階では良くなっていくし、子どもの時の発達障害、虐待などの影響で一時的に発達が遅れている場合は、療育環境を整えてあげると回復していくということがわかっています。

人格障害のものや知的能力の問題、発達障害の問題というのは薬を投与したりトレーニングを積んでもなかなか100%母集団に追いつくのは難しかったりします。
そういう側面もあるでしょう、ということかな。

産後うつ病であればわりと早く回復するなど、色々ありますが、やはりなかなか病気を完全に治すのは難しいんです。

医学はまだそんなに進歩していないんです。
がんは取っているだけなので、究極的に言ったら。
そんなすごいことをやっているわけじゃないし、あとは自己免疫力で何とかしていることは多いんです。

骨折は良くなったりしますけど、でも高血圧や糖尿病はなかなか良くならないです。
薬で維持していくという感じなので、精神科もそういう要素はありますよ、ということです。

■内的世界の充足を目指す

機能が回復しなければ僕らは回復したと思えないのかというと、そういうわけではありません。

脳の中では、機能の複合的な要素によってバーチャルリアリティの世界を作っているんです。
僕らはあるがままを見てるわけじゃないんです。
目から入って来た視覚情報、耳から入ってきた音の情報、皮膚など五感から得た情報、そして過去の記憶や知識をもって一回脳の中で再構成されている。
その再構成された世界から色々判断して考えたりということを、脳神経科学者は考えているんです、今は。

そういうものを「予測された世界」と言ったりします。
脳の中で常に世界を構築し、次に何が起きるんだということを予測し続けているんです。

その予測された世界の中で振る舞っているんだけれども、その外界とのズレを感じたときには予測を修正したりするということがわかってきているのですが、とにかく頭の中に世界を作るわけです。

この世界に対して、やはり認知の仕方があるわけです。
自分が考えている世界があったときに、捉え方ひとつで結構変わるんです。
心のあり方で結構変わるんです、人間というのは。

自分はお金持ちになってないんだけれども、周りの人の所得が下がるとすごくお金持ちになった気持ちになる。逆もしかりです。
自分はすごく満ち足りているのに、食うに困っていないのに、周りの人がお金持ちで欲しいものを持っていたりすると、すごく自分が貧しいんじゃないかと思ってしまう。
自分は優秀であるのに、仕事もあるのに、周りがもっと優秀だったり東大へ行ってるとかそんな感じだと、自分はダメな奴なんじゃないかとか思ったり、そういうところはあります。

機能の問題ではなくて、内的世界の充足を目指すというのも、精神科の治療のひとつなんです。
たとえ機能の回復が不十分であっても、内的な世界が充足されていれば、人は治ったと思うというか、まあ仕方ないなと受け入れて次に進むことができます。

医学、科学だけではどうしても救えないものがあります。
それに対してでも違うんだよ、ということです。人間ですから僕らは。
医療とは「仁術」なので、やはり内的な世界の充足を促すためにどうしたらいいんだろう、ということを考えて、それを言語的な介入によって相手に伝えていくということをしていきます。

良くならない患者さんの特徴と言いましたが、基本的には良くならないものはたくさんあって、でも本当に良くならない人というのは内的世界が充足しにくい人たちのことを指します。

僕の動画をずっと見てくれてる方、熱心に見てくれてる方はよく考えると思いますし、わかっていらっしゃるかもしれないですが、努力さえ遺伝子で決まったり、環境の中で決まっていくんだから、内的世界の充足と言ったって、それは僕らの個人の努力や頑張りでできるんですか、と言ったりします。

益田は良い子ぶってるんじゃないのか、そもそも謙虚でいられるというのも遺伝子で決まるんじゃないの、足ることを学ぶというのも知的能力の問題なんじゃないの、ひいては遺伝子の問題なんじゃないの、と言われそうです。

たとえそうであったとしても、そこに向かっていくということしか僕らはできないし、そこに挑んでいくことが人間の尊厳なんじゃないかなというのはよく思います。

皆さんはこういう話をされたら、バカにしてるのか、と言うかもしれないですけれども、僕はお釈迦さまの話で「茗荷(ミョウガ)」というお坊さんの話が好きなんです。

茗荷という方はちょっと頭が弱かったみたいですね。
知的能力が低い方だったようです。
他の人のようにお経を覚えたり、作法、仏法、仏祖を学ぶことが苦手だったようです。

ロジカルな哲学、言語的能力を求められるもの、難解なロジックを理解していく、仏教的な哲学や世界観を理解していくことも難しく、そしてその中の人間関係で上手く振る舞ったり、政治的なやりとりをすることも苦手だったようです。

茗荷さんは「僕は悟れないんですか?」とお釈迦様に聞いたみたいです。
そしたらお釈迦様は「あなたができることをやりなさい」とほうきを渡したらしいんです。
渡された茗荷は、最初めちゃくちゃ怒ってたみたいなんです「何なんだ、バカにしやがって」と思って。
だけど何か考えがあるかもしれないということで、熱心にほうきを持って掃除をされたそうです。

今でいうマインドフルネスに掃除を続けたそうです。
その結果、茗荷というお坊さんは色々な人から尊敬されるお坊さんになったみたいです。

それは新しく仏法を拓いたとか、理解したとか、上手く振る舞えるようになったとかそういうわけではなくて、今自分ができることをただ続けていたという行為に人の心を動かす何かがあったり、人の弱さ、人の苦しみを救う、エッセンスがあったんだろうと思います。

今の言葉でいうとマインドフルネスと言うし、マインドフルネスな態度や行動が他の人々に感動を与えた、みたいな言い方になるのかもしれないですけれど、でも僕はそういう言い方もわかりやすくて好きですが、やはり人間の尊厳というものを考えて、お釈迦様がその人ができることをして、そして茗荷さんもお釈迦様の言うことを信じた。絆や信頼関係、ひたむきさ、そういうものが美徳として美しかったのかなとか、色々なことを考えます。

とにかく内的な世界の充足というのは、どういう言葉で表現するのか、どういう形で理解されるかは別に正解はないと思うのでいいのですが、そういうのを目指すというのは大事かなと思います。

概要欄続き
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#早稲田メンタルクリニック #精神科医 #益田裕介

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