【フッサール②】西洋哲学史 現代哲学解説【ノエマ・ノエシス】【現象学】

Описание к видео 【フッサール②】西洋哲学史 現代哲学解説【ノエマ・ノエシス】【現象学】

※読んでみたい本やあると便利な機材など。もしよろしければご支援いただけると幸いです!
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/...

サブチャンネル
   / @user-mg4yd4xr7c  

Twitter
  / tetsugaku_ch  

note
https://note.com/tetsugaku_ch


※関連した過去動画

【フッサール①】西洋哲学史 現代哲学解説【現象学】【超越論的還元】
   • 【フッサール①】西洋哲学史 現代哲学解説【現象学】【超越論的還元】  

【フッサール③】西洋哲学史 現代哲学解説【判断停止(エポケー)ってなんだ?】【現象学】
   • 【フッサール③】西洋哲学史 現代哲学解説【判断停止(エポケー)ってなんた...  

【ルネ・デカルト】西洋哲学史解説【方法序説】【我思う、故に我あり】
   • 【ルネ・デカルト】西洋哲学史解説【方法序説】【我思う、故に我あり】  

【カント①】西洋哲学史解説【純粋理性批判】【認識論のコペルニクス的転回】
   • 【カント①】西洋哲学史解説【純粋理性批判】【認識論のコペルニクス的転回】  


※書籍

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)
https://amzn.to/3agRJBr


とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に
お伝えすることを目的としたチャンネルです。
チャンネル登録、高評価、拡散、ぜひぜひ宜しくお願いいたします。

Twitter
  / tetsugaku_ch  



動画の書き起こし版です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


例えば、今目の前にタモリがいるとします。

通常であれば、目の前にタモリがいるからそれを認識して、
「いいともの元司会者だ」とか感じるわけですね。(自然的態度)

この、主観と客観の関係性について、
いったん判断停止(エポケー)してもっと根源的に認識を捉えなおそう。
それが現象学の基本的な方針だと説明しました。

つまり、まず目の前には「いいともの元司会者であり」
「サングラスをかけた男であり」「世にも奇妙な物語のナビゲーター」
という体験がありますと。(現出)

それを受け取って、推論することによりタモリ(現出者)という認識があらわれる。

自然的態度からこの認識に至ることを【超越論的還元】と呼びます。


現象学においては、人間の意識は必ずある対象に向けられると言います。
このあり方のことを【志向性】と表現します。

そして、超越論的還元後のこの認識プロセス全体のことを【ノエマ(志向対象)】と呼び、
受け取った体験を推論して認識として立ち上げる工程のことを【ノエシス(志向作用】と呼びます。


フッサールはこのノエシス(志向作用)こそが、
全ての原点であると考えたのです。


デカルトが唱えた【コギト(我思う、ゆえに我あり)】という概念は
言い換えると自分という意識そのものと表現できます。
疑いようのない絶対的なものとして疑っている自分(意識)が
学問出発の再スタート地点になると考えたのですね。

そして、その次に確実なものとしてデカルトは『五感』を挙げました。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
これらの感覚についても疑いようがないだろうと。

平たく言えば、フッサールはこの両者の関係性に着目したわけです。

認識を感じる自分の意識と、その材料となる体験を生み出す五感。
この両者がゆるぎないものとして前提にあるならば、
体験から認識に至るその作用にこそ、全ての基本となるものが眠っているに違いない。
だから、ノエシス(志向作用)を研究することで、
現在の科学や数学などもその立場から再度記述することができるはずだ。
これが、真の学問の再出発だ。と考えたのです。



人間がノエシスを介して世界を理解している。
ということについては、フッサールの時間と空間に対する捉え方を見ていくと
少し分かり易いかもしれません。


フッサールは時間と空間についても、
先ほどの『タモリ』と同じような処理によって認識していると考えました。


まず時間について解説します。


例えば、あなたが
「太郎くんはアメリカに行きました」
という文章を聞いているとします。

たった今「アメリカに」という部分を聞いています。

あなたはこのとき、太郎くんがアメリカに行くような気がしています。
それはなんでかというと、ちょっと前に聞いた「太郎くんは」という文節を覚えていて、
今聞いている「アメリカに」という文節を結びつけて理解をし、
多分この後に「行きました」と続んだろうなと予想しているからです。

過去に聞いた「太郎くんは」がなければ文章の意味が理解できないですし、
「アメリカに」に続いて「ペンパイナッポーアッポーペン」ときたら面食らってしまいますよね。

このように、現在体験しているものを【現印象的現出】
過去に体験してそれを保持しているものを【過去把持的現出】
未来にあらかじめ期待されているものを【未来予持的現出】と呼びます。

そして、それらの現出が複合して推論されることで、
文章の意味が理解できるのと同時に
『今』という概念も理解できるようになるのです。



次に空間についても考えてみましょう。


例えばあなたの目の前に閉じたノートパソコンがあるとします。

あなたは今しゃがんでいて、机の上のパソコンを真横から見ています。
当然線に近いパソコンの姿が目に写っているはずです。

しかし、だんだんと姿勢を変えて目線を高くしていくと、
次の瞬間にはパソコンが台形に見えるようになってきて

真上まで目線を持っていけば長方形のノートパソコンが現れるはずです。


先ほどと同じように、
しゃがんでいた位置(現出A )と、中腰の位置(現出B)と
真上からノートパソコンを見下ろす位置(現出C)によって推論されることで
『今この場所』という認識が生まれていると現象学では考えるのです。



時間も空間も、これらのプロセスを抽象化したり、無限化したりすることによって
私たちが感じているような客観的な時間や空間を認識できるようになっている。
しかし、一度その処理が行われ、客観的な時間と空間の認識が完了すると、
その処理の過程自体は無意識に隠されてしまう。とフッサールは主張します。


私たちは時間は常に過去から未来に一定に流れているし、
自分がいなくても時間は同じように流れていくんだろうし、
それは空間についても同じ。と考えています。


しかし、現象学の立場では、
そのように感じているのは自然的態度であり、
超越論的還元をして厳密にノエシスを見ていくと、
それはそう認識するような工程が過去にあったからだ。と言うのです。



難しいですよね。

現象学がなんで難しいかと考えていたのですけれども、
それはやはり【判断停止(エポケー)】の部分にあると感じます。

今回の解説でも、そこの部分はある意味スルーしてますからね。

と言うことで、次回は判断停止ってなんやねん。

について少し突っ込んで解説してみようと思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


#フッサール
#ノエシス
#ノエマ

Комментарии

Информация по комментариям в разработке