第41回「まごころから出る声」2021/2/16【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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本日の管長日記は、「まごころから出る声」です。
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。

本日もよろしくお願いいたします。
 
■管長日記「まごころから出る声」
https://www.engakuji.or.jp/blog/33218/
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『良寛禅師奇話』に、解良栄重(けらよししげ)が、良寛禅師のことを、
「師、音吐朗暢(おんとろうちょう)、読経の声、心耳に徹す、

聴者、おのずから信を発す」と書かれています。

音吐はものをいう声です。

「音吐朗々」と使われることがあります。

「朗朗」では、「朗吟するときの声などが大きくて澄んでいること」とあります。

「音吐朗々」で、『広辞苑』には、「声量が豊かで澄みわたっているさま」と説明されています。

「暢」は、元来は太陽が明るくあがるさまで、明るくのびのびすることで、長くのびのびした意味であります。

「朗暢」は、諸橋先生の『大漢和辞典』には、「ほがらかでのびやか」と解説されています。

良寛禅師のお声は、ほがらかで、のびやかでいらっしゃったということです。

清らかで澄んでいるという感じもします。

読経をすると、その声は「心耳に徹した」とあります。

「心耳」とは、漢和辞典を調べてみると、

「心耳」は、「しんじ」と読んで、

「心と耳。物事の善悪・是非をよく聞きわけ判断する心の働き。心臓の内部の上半分。心房」

という説明があります。

『広辞苑』には、「心で聞くこと。心の耳」という説明があります。

単に耳に聞こえるというだけではなくて、心にまで深く響いてきたということでしょう。

読経を聞いた者は、自然と信仰心が起こってきたというのです。

読経は、よく意味が分からない、退屈だと言われますが、意味を理解するだけが、お経を読む目的ではなくて、このような読経の声の響きによって、自然と心が浄化されるということもあります。

『言志録』に
「実言は、芻蕘(すうじょう)の陋と雖も、以て物を動かすに足る。

虚言は、能弁の士と雖も、人を感ずるに足らず」

という言葉があります。

「芻蕘」は、草刈りときこり、庶民を表します。

「陋」は、小さくてせまいという意味から、

「心や知識がせまい。身分がいやしい。せせこましくてみにくい」ことを言います。

『人間学言志録』の解説には、

「真心から出た言葉(実言)は、たとえその人が田夫野人であっても、よく人を感動させる。うそいつわりの言葉は、いくら話の上手な人であっても、人を感動させることはできない」

とあります。

いくら流れるようにしゃべっても、心に響かないということがあります。

訥々とした語りでも、真心から出た言葉は響きます。

この「真心から出た言葉」というのは、自然と声に現れるのでしょう。

只今YouTubeも円覚寺チャンネルにでは、松本紹圭さんとの対談が公開されています。

松本紹圭さんとは、昨年の暮れに、松本さんが今力を入れていらっしゃるポッドキャストに出演させていただいたご縁があります。

松本さんは、いま流行のYouTubeの様な動画よりも、声に注目されているのです。

ラジオなどは、まさに声であります。

見た目でごまかすことはできないのです。

声には、その人となりが一番現れるというのです。

松本さんは、未来の住職塾というのを長年行ってこられています。

これからのお寺がどうあるべきかといっても、本当にお釈迦様の教えをもとに、多くの人に生きる力を与えてゆきたという思いをもっているのか、単に自分のお寺の存続のみを考えているのか、その本気度は声を聞けばわかるのだと仰っていました。

盤珪禅師のところに、目の見えない方が来られて言いました。

多くの人は、お祝いの言葉には、どこか悲しげな思いが隠れているし、お悔やみも言葉に、自分ではなくてよかったという安堵の思いが潜んでいる、ところが盤珪禅師の声には、そのような思いが全く見えないと言ったという話があります。

目の見えない人は、それだけ声によってその人を見る力があるのでしょう。

『日本講演新聞』に、目の見えない人も一目惚れするのかという記事がありました。

一目惚れするのだそうです。

イケメンというは、声がイケメンだということが書いていました。

声には、その人となりがでるのでしょう。

そんな事を思って、声で勝負をしようと思って、毎日の侍者日記を動画ではなくて、音声だけにしたわけでは決してありません。

これは、動画を撮影するのはたいへんだからという単純な理由であります。

松本紹圭さんと私のポッドキャストの対談も最近は、YouTubeでも公開されています。

こちらも当然動画ではありません。音声だけです。

声は大事だからといって、ボイストレーニングをすればいいという問題ではありません。

もちろんそういうトレーニングも効果はあるでしょうし、私どもも、肚から声が出るように鍛えたりします。

しかし、そんな技量よりもやはり、「まごころ」から出ているかどうかが問題のでしょう。

真民先生の「まごころ」の詩を思います。

 まごころ
天地を貫くのは
まごころ
地球を包むのも
まごころ
世界を平和にするのも
まごころ
救い難い人を救うのも
まごころ
こころは
ころころするが
まがつくと
もう万里一条鉄
びくともしない 
どんなことでも
ふしぎによくなる 
まごころは
差別を無くし
憎悪を消し 
光のように
すべてを照らし
愛に満ち
熱い涙で 
抱いてくれる 
ああ 
宇宙を美しくするのは 
まごころ 
まことのこころ


横田南嶺
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